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「日本の翻訳書は原書以上に作り込まれている」翻訳者・櫻井祐子さんが徹底する読者への寄り添い方

翻訳者・櫻井祐子さんと『BIG THINGS』担当編集者・梅田直希の対談。中編となる第2回は「訳者さんの働き方」と「翻訳書編集者の生態」について。

本の特性からか、普段あまり表に出ることのない翻訳者と翻訳書編集者。「著者を降臨させて翻訳する」という櫻井さんの翻訳スタイルから、「翻訳書って、すでにあるものだから、編集も何もないのでは?と思われるかもしれませんが、じつは色々やっているんです」という話まで、「翻訳」と「翻訳書の編集」について、秘密なしでぶっちゃけました。

『 食欲人』
櫻井さんが翻訳した書籍のひとつ


対談記事 第1弾はこちら


■ゲラチェックが異様に早いよ、櫻井さん

*ゲラとは、本のレイアウトにテキストが流し込まれた状態のもの

梅田:ところで、櫻井さんってゲラチェック、めちゃくちゃ早いですよね?

櫻井:そうですか? なるべく迷惑がかからないように、とは思っていますが……

梅田:時には深夜の時間帯にゲラが戻ってくることもあるじゃないですか。いったいどんなスケジュールでお仕事をされているんですか?(やや心配)

櫻井:昼は誘惑が多いので、夜のほうがはかどりますね(笑)。ゲラチェックは重なることもあるのですが、基本は1冊ずつに専念して訳しています。

梅田:何冊も抱えているのかと思ってました。

櫻井:たいていは数冊抱えていますが、1つを訳し終えて次へ……というように、作品が混じらないようにしています。のめり込みやすい性格なんですよね。本当に、朝から晩まで、何をしているときもバックグラウンドでいつも本のことを考えてしまい、どう訳そうかと考えていたら夢の中で答えが出てくることまであります(笑)

梅田:憑依型の訳者さんだ!

櫻井:演劇をやっていたこともあって、憑依はするかもですね(笑)。 著者がどんな人なのかにとても興味があるので、原稿だけでなく、著者資料や記事を読み、著者が出演したポッドキャストやオーディオブックも聴いていますね。できるだけ多面的に知りたいんです。

私はファーストインプレッションを重視していて、初回は原稿を読みながら、それとほぼ同じ速度でザーッと訳していきます。そこから何度も回して、いわゆる大理石の塊の中に埋まった像を掘り出すようなイメージで、細かく修正しながら、原文の趣旨に近づけていこうとします

翻訳って、いきなり最終形の訳文が出てくると思われがちですが、私はとてもそうはいかなくて、ああでもないこうでもないと沼にハマりながら、試行錯誤しています。

梅田:あー確かに、櫻井さんの翻訳って、原稿を戻して修正してもらうたびに、そしてゲラも回数を重ねるごとに、どんどん文章の表現がブラッシュアップされていく感覚があります。赤字が減らない(笑)。

櫻井:す、すみませんっ(滝汗)……多分「ここで終わり!」と言われないと、永遠に赤字を入れ続けると思います(笑)。 でも、私は梅田さんとの仕事が好きなんですよ。梅田さんは独特の感性がおありなので、どんなレスポンスが返ってくるのか戦々恐々、いえ楽しみで仕方ないんです。

梅田:え、自覚がない……。

櫻井:梅田さんは、ワードで原稿を提出したらホッとする間もなく、ゲラではなく、まずワードにそのまま指摘を入れて、すかさず戻してくださるんです。それがまあ手厳しい(笑)。

普通はちょっと時間を置いてから、さりげなく直されたり、「これはこういう意味でしょうか?」などと書き込まれたりしたゲラが戻ってくるんですが、梅田さんの場合は、「ここは?でした」みたいな、歯に衣着せないまっすぐなコメントが、ワードにガツンと入って戻ってくるんです(笑)。

梅田:あ~、やってます……。

櫻井:初めての時は「?」を見て、ヤバ……もうクビか……と真っ青になりましたね(笑)

梅田:翻訳書って、「コンテンツがすでにあるもの」じゃないですか。だから最初の原稿から、完成物として接するようにしているんです。そのうえで、わからなかったり、文脈的に「唐突?」「ん?」とつながらなかったりしたら、それをそのまま伝えるようにしています。それが、読んだ人の素直な心の反応だと思うから。なので、修正指示というよりは「感想」に近くなるんだと思います(汗)。

櫻井:なるほど、そういうことだったんですね、聞いてよかった(泣)!! 翻訳書って、訳者の原稿がそのまま本になっていると思われているかもしれませんが、実はその陰には訳者と編集者さんとの果てしない攻防があるんです! 

私自身、新しく複雑な考えを紹介するビジネス書ということを重々意識して、できるだけスッと頭に入る訳文を心がけてはいるのですが、梅田さんの基準はさらに厳しくて、しかも完全に納得されるまでは絶対にOKが出ません。「これ以上どうしろと?」と考え込んでしまうこともありますが、そういうところにこそ、学習曲線を上っていくためのお宝が隠れていると思うんですよね。

だから、何を求められているのかをものすごく考えるし、納得してもらえるために何度でも書き直します。その過程がとても勉強になります。そして実際に、最初の原稿とは比べものにならないくらい、よい本になっていると思います。梅田さんには、「ほんとに読者に寄り添ってる?」ということを叩き込んでいただいていますね。

梅田:そう言っていただけると、ほっとしました(笑)。

■日本語に置き換えるのは翻訳じゃない

梅田:知り合いの編集者さんから、「櫻井さんは日本一翻訳が上手い」と伺いました。櫻井さんの訳文は一回読むだけで理解しやすい原稿なのですが、聞くところによると参考文献もすべて読んでから訳すとか……。

櫻井:いえ、うまいなんて全然思っていないです(冷や汗)。参考文献をどれくらい読むかは、本によっても違いますが、翻訳は著者の意図に沿うことがもっとも大切ですから、しっかりと考えを理解しておきたいんです。

そのために、著者が本のことを語っているポッドキャストやインタビュー記事も参考にしますし、本文で触れられている論文に関しては、最低限、概要(アブストラクト)のところまでは読みたいと思っています。

梅田:原稿以外からも、著者の考え・人格をインプットする。まさに「憑依」させるわけですね。

櫻井:なぜ論文を読み始めたかというと、ちょっとでも曖昧にしていると、鋭い編集者の方が「これはどういう意味なのか」と必ず聞いてくるからです(汗)。それに、著者の説明の仕方が、必ずしもベストではないこともあるんです。

著者は読者が知っている前提で話を進めることも多く、そのまま訳しては伝わりにくい箇所も少なくありません。そこで、参考文献まで参照し、著者の意図を汲み取ろうと考えました。それに大学院で鍛えられたおかげで、文献までザクザク読めるのが、自分の数少ない強みかなとも思っているので。

梅田:翻訳書の場合、日本の読者は著者の名前も知らないケースが多いじゃないですか。そんななか、櫻井さんの「初見でもわかるように」という翻訳の姿勢はとても素晴らしいと思います。

櫻井:いえ、私もとくに駆け出しの頃は、読者のレビューを読んで、「あれ、なんか意味がうまく伝わってないかも?」と悩むことがよくあったんですよね。そしてようやく気がついたんです。ビジネス書の読者は忙しくて、わかりにくい訳文をかみ砕いている暇なんかないんだって。

そこからは意識して、多忙な読者が考え込んだり、スマホで検索したりしなくても、本文を読むだけですんなり意味がわかって、最後まで面白く読める本にしなくては、と気をつけるようになりました。

梅田さんと一緒に作った2冊目の本は『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』ですが、この仕事を機に、私は翻訳に対する意識がさらに変わったんですよ。この本を原書で初読したときの印象は、すごくためになることをやや哲学的な言い方で示して、読者に考えさせるスタンスなのかな、というものでした。

でも梅田さんのお考えは違ったんですよね。そんな高いところに立ってちゃいけない、もっと読者に寄り添わないと伝わるはずがないって(と、私は梅田さんの「?」の指摘から解釈しました)。たしかワードのまま、3、4回全体をリライトしたような記憶があります。

『シリコンバレー最重要思想家ナヴァル・ラヴィカント』
エリック・ジョーゲンソン (著), 櫻井祐子 (翻訳)

梅田:確かにあの本は、ビジネス書でありながら、客観的では決してなく、『ナヴァル』の卓説した主観で成り立っている本ですよね。

櫻井:そしてそのおかげで、SNSから爆発的に火がついて、本当にたくさんの方に読んでいただいています。当時はほとんどの人が、ナヴァルを知らなかったのに、今やビジネス関係者の間では“ナヴァル”だけで通じるようになりました。出版を機に一気に知名度が上がっていく様子を見て、すごく興奮しました。

■面白い本を「目利き」する方法

櫻井:私も逆に梅田さんに聞きたいのですが、どこからこういう面白い本を探してこられるんですか? アンテナが普通の人と違うな……と、いつも思います。

これまでに梅田さんとつくった本は『ナヴァル』にせよ、『食欲人』にせよ、私にとってまったくジャンルの違う本で、とても新鮮で楽しくて。そして、「メリットはこれです!」「読むとこうなれます!」というわかりやすさはないけど、その分奥ゆきがあって理解できたときの到達度が深い本が多い、というか。

梅田:うーん……あんまり他の編集さんと変わらないと思いますよ。エージェントさんから紹介を受けることもありますし。ただ、できるだけ現地の一般読者の声には触れようとしているかも……。

櫻井:読者のリアルな声、ということですか?

梅田:はい。例えば、ナヴァルはInstagramで存在を知った本です。「読んで面白かった本」みたいな現地の人の投稿ですね。複数のアカウントで話題になっている本は普遍性があると考え、注目するようにしていますね。

櫻井:なるほど、そこまでアンテナを伸ばされているんですね! 『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』も、一見普通のビジネス書と思いきや、著者が世界にたった一人の専門家で、お名前も子音が6個ぐらい続いていて「読めない~、いったいどこの人?」とびっくりしました。この本はどうやって見つけられたんですか?

梅田:『BIG THINGS』は、原書が出る前にエージェントから紹介されましたね。翻訳書の特性上、原書刊行前に案内が来ることもあります。そんなときは、僕は割とマーケットは無視して、自分がその原題とほぼ同じ意味の日本語タイトルで出たときに買う可能性があるか、まずは自分の心の動きと向き合うようにしています。

櫻井:でもそれだと、広く世の中に受け入れられず、部数が伸びないかもしれないとか、不安じゃないですか?

梅田:なので、私生活からできるだけ「普通」に生きることを心がけてます。SNSであまり作り手的な発信をしないとか、本を読みすぎないとか……。自分がマジョリティから外れていなければ、自分に目掛けて作ればいいな、と。

櫻井:それは逆張り的な、とても面白い考え方ですね! 

梅田:あと、最悪外れても、自分が仕事で本読めたと思えば、それでいいや、と(笑)。

櫻井:なるほど、たしかに私も梅田さんとつくった本は生活にとても役立っていますね。でも、作っている人が楽しめるかどうかは、とても大事な気がします。それがクオリティに直結すると思いますし。

梅田:まだ原稿すらできていない洋書の案内が来たら、まずパッケージ情報で自分に刺さるかどうかを判断します。で、そこをクリアしたら、その時点で読める原稿の一部をもらって中身を確認します。『BIG THINGS』は、読んでみてこれはいけると思い、出版の権利を取りました。今思うと、僕は「新規事業やってみたい」「一山当ててやりたい」熱に浮かされることがあり、「BIG THINGS」という言葉がモロに刺さったんだと思います(笑)

櫻井:ほおお、クールな梅田さんの意外な一面を知りました! 

『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』
ベント・フリウビヤ (著), ダン・ガードナー (著), 櫻井祐子 (翻訳)

■原書より緻密な「日本の翻訳書」

梅田:ちなみに、櫻井さんが思う「翻訳書ならではの良さ」ってなんだと思いますか? よく言われるのは「世界最新の知見が得られる」「普通に生きていたら交わることのない見識に触れられる」とかですが、それだとどうしてもお勉強モードになって、敷居の高さが解消できないなー、と最近うっすら思っていて。

櫻井:日本の翻訳書ならではの良さ、でもいいですか?

梅田:ぜひ聞きたいです!

櫻井:実は原書以上に緻密に作り上げられているのが日本の翻訳書なんです! これは訳者の仕事というより、編集者さんの仕事の賜物だと思います。原書で曖昧にされた点も、著者とのやりとりでクリアになっています。

そしてたとえば、要点をまとめたキャッチーな“小見出し”。洋書にはこうした小見出しはほぼなく、すごい発明だと思います。本文も、適宜、太字になっているので、もう見ただけで要点が頭に入ってきます。

梅田:あー、確かに、洋書には見出しはほぼ無いですね。

櫻井:はい! 本自体が大きくて分厚いし、中身は改行や1行あきなんかもほとんどなく、ものすごく圧迫感がある。「情報量がたくさんあって、学びが多そう」という側面もありますが、やはり広く読んでもらうためには多少の「余白」「息抜き」「見やすさ」が必要だと思います。

そういう意味では、日本語の翻訳書には、そういう手に取りやすい「空気」の仕掛けがたくさんあって、視覚的にも読みやすくなっているんです!

梅田:僕らの仕事を代弁していただいて、ありがとうございます! では、櫻井さんが思う、良い翻訳書の特徴は何ですか。

櫻井:私はつねづね日本のビジネス書の読者さんはすごいなと思っていて。めちゃくちゃ多忙なのに、貪欲に本から知見を吸収して、そこに独自の視点を添えて、自分の言葉で発信されている。知的レベルはもちろん、こんなに知的好奇心や向上心が高い読者さんって、世界にほかにいないと思います。

なので、そんな読者さんのお役に立てる、まるで日本語で書かれたかのような感覚でさらっと読みこなせる本、そして英語圏の人が原書を読むよりもさらにクリアな理解が得られる本が理想の翻訳書だと思っていますし、自分も提供できたらと願っています。梅田さんが考える、良い翻訳書はどうですか。

梅田:仮にめちゃくちゃ疲れている状態で読み始めても、頭からお尻まで一回通しで読んだだけで理解できる本ですかね。翻訳書ってどうしても分厚くなりがちですが、骨太なのに読みやすいと、「読み切った感」と「ものすごい見識に触れた感」を同時に味わえて、ものすごく得した気分になります!

櫻井:あー、それを聞いて梅田さんの編集方針が腑に落ちました! 私もフリクションレスな本、つまり読んでいて引っかかる箇所やわかりにくい箇所が一つもなく、流れに沿ってスムーズに読み終えることができて、かつ知見が頭に残り、できれば面白かったと言ってもらえる本をめざしたいですね。

梅田:櫻井さんが訳した、『巨大システム失敗の本質』『BIG THINGS』はそうした翻訳書の理想形だと思います。やはり、僕の中では櫻井さんが一押しの翻訳者ですし、今後も頼りにさせていただきます。

櫻井:ありがとうございます。梅田さんとの仕事を通じて、私も日々成長させていただいていると思っています。

『1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』
櫻井さんが翻訳した書籍のひとつ


次回は、話の中にも出てきた『BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?』の魅力をとことん語ります!

(文・構成=山内貴範・編集=サンマーク出版 Sunmark Web編集部)


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