雨が降ったら「憂鬱だ」と思う人が気づいていないこと
あなたの周りにはいつも怒っていたり、イライラしていたりする人はいませんか?
機嫌がいい時もあれば、そうではない時があるのが人間の性。それは一体なぜ?
スポーツドクター、辻秀一さんの著書でロングセラー『自分を「ごきげん」にする方法』よりお届けします。
不きげんは人間の宿命
いつもごきげんでいれば、人生は楽しいし、パフォーマンスは上がるし、結果もついてくるので、ハッピーになれます。なのに、私たちは簡単なことですぐ不きげんになってしまいます。そして、不きげんでもそのままほったらかしにしていることがほとんどなのです。いつも不きげんで怒っている人、あなたのまわりにいませんか?
自分できげんをとるということを忘れてしまっているのです。
実際、私たちは1日の自分の気分を振り返ってみると、ごきげんでいることより、不きげんでいることのほうが多いのではないでしょうか。
どうして、私たちは不きげんになってしまうのでしょうか。そのことについて、ちょっと考えてみたいと思います。
不きげんは、じつは私たちが進化の過程で獲得した脳の働きのしわざなのです。
脳の働きのひとつに「認知」というものがあります。自分の周囲の状況や出来事に意味づけし、判断して行動の内容を決定し、行動をうながしていく働きです。
たとえばヒツジがオオカミのしっぽを見つけたら、「危ない!」と判断して、一目散に逃げ出します。それが認知する脳の働きです。
「危ない!」と認知しないで、のんびり草を食べていたら、食べられてしまいますから。認知の機能を発達させればさせるほど、生き延びられるというわけです。
生物の中で最も生き延びて繁栄しているのは人間です。つまり人間は認知の脳がおそろしく発達しています。いつも自分の外側で起こる状況をことこまかに判断して、反応し、行動しています。
その反応の量と精度は、ヒツジの比ではありません。外界の出来事にいち早く反応して、「危ない!」「あやしいぞ!」「やばい!」「逃げろ!」と判断し、行動してきました。
認知の働きは人間が生き延びるために必要不可欠な脳の機能だったのです。
そして、生き残るためには、楽しいことより危ないことにより敏感に反応しなければいけません。だから人間の認知は、物事をよりネガティブだったり、悲観的にとらえがちになるのです。
私たちがごきげんでいることより、不きげんでいることが多いのは、生き残るための必然。脳の認知の働きによるものだったのです。不きげんは人間が進化する上で背負いつづける宿命なのです。
人間は「認知」の脳にとらわれている
人間の認知する脳の働きは、とてつもなく進化してきました。私たちはつねに認知する脳を働かせて、生きていると言っても過言ではありません。
最初は生命維持のために認知の脳をフル回転させて生き延びようとしましたが、文明が発達し、生命の危険にさらされるようなことが少なくなると、今度は生命維持以外のことに認知の脳を使うようになりました。
より便利に暮らすために、道具をつくり、機械をつくり、そして、インターネットをつくったのです。
このように私たちは、どうすればもっと便利に効率的になるかと、考え、判断し、行動することを繰り返してきました。その結果、つねに認知の脳を〝全開〟にして生きるようになってしまったのです。
こうしている間も、私たちは認知の脳をフル回転させています。これを読んでいるあなたも、認知の脳をフル回転させて、活字を追い、私の言葉にさまざまな意味をつけながら、理解しようとしているわけです。
人間は外側の状況を認知して行動する。つまり外側の出来事に認知の脳が〝接着〟して生きるようにできているのです。
悲しいかな、ふだん私たちは認知の脳のこの働きを止めることはできないのです。ずっと外側の世界に接着したまま。この働きが止まるのは、死ぬときか、認知症になってしまったときだけです。
認知の脳が発達してくれたおかげで、人間は高度な文明を築くことができましたが、この認知の脳が過剰に発達したことで、私たちの心に不きげん、すなわちストレスが起きるようになりました。
みなさんは、まだ起こっていない未来のことについて思い悩んだり、不安で眠れなくなったりしたことがありませんか? まだ起こっていないことについてそんなに考えられるなんて、思えばすごい脳の働きですよね。
認知の脳は、危険とか恐怖を察知しやすいようにできているので、認知の脳を使えば使うほど、マイナス面やウィークポイントが見えてくる。そして心はその影響を受けて、つねに「不きげん」に傾きやすい状態になっているというわけです。現代人はみんな、基本的にマイナスに認知しやすいということなのです。
しかも、人間はほかの動物よりいっそう認知の影響を受けやすい生き物です。
ヒツジがオオカミのしっぽを見つけたら、反射的に逃げる。ヒツジはそのとき「やばい」とか「怖い」と感じているのでしょうが、人間はもっと感情が豊かですから「死ぬのは怖い」「かまれたらどんなに痛いだろうか」「仲間が心配だ」「自分はどうなるんだろう」とか、不安や恐怖やゆらぎという感情をヒツジよりもっと複雑につくりだしてしまうわけです。
出来事に意味をつけたのは誰?
このように認知の脳は、たえず外界を見て判断します。そして、外側の出来事に〝意味〟をつけるという反応をします。私はこの認知の脳による反応を「意味づけペタンコ」と表現しています。では、この意味づけペタンコの反応が心に及ぼす影響についてもう少し具体的に考えてみましょう。
たとえば雨が降っていたとします。傘をさす、という行動がとれるのは認知の脳の働きです。雨を見て、ものさしを持ち上げたら、認知が間違っています。
ここまではよいとして、ではあなたは、雨が降ったらどんな気分になりますか?
「うっとうしい」
「憂鬱だなあ」
「いやだなあ」
と、ちょっとブルーな気分になりませんか?
これが、意味づけペタンコの影響なんです。「雨はブルーなものである」という意味を脳が勝手につくっているんです。そのせいで心にブルーな感情が生まれてしまうというわけです。
考えてみてください。雨はただ空から水が降っている現象にすぎないのです。
だって「いやな雨」や「憂鬱な水」が降ってくるわけではありませんから。雨はただ水が空から降ってくる。それだけのことなのに、認知の脳が意味づけをしてしまっているので私たちは雨を見て、憂鬱になってしまう。
その証拠に、もし生まれた日に雨が降っていたらどうでしょう。雨の日に生まれた赤ちゃんは、
「なんてことなの。よりによって自分の生まれた日に雨が降ってるなんて。冗談じゃないわ」
と思うでしょうか。きっと思わないはずです。雨が降ってブルーになるというのは、後天的に認知の脳がつくりだしたことだからです。
この世で起こるすべてのことに意味をつけたのは、あなたの脳なのです。しかも、この意味づけは死ぬまで続きます。人間は意味づけによって生きている〝意味の生き物〟と言えます。
いつも物事の意味は自分がつけている。その自覚がないと、心が外側の出来事に持っていかれてしまい、いつでもきげんが悪いという状態になります。
ふきげんな、よし子さんがホームに駆け込んだとき、目の前で電車の扉が閉まってしまいました。よし子さんは「なんなの! あの車掌! 私の目の前で扉を閉めるなんて!」と思いました。でももし、よし子さんが運よくすべり込めたら、「ラッキー」と思ったかもしれません。
みなさんに気づいてほしいのはこのことです。
よし子さんが電車に乗れたとき、「ラッキーな」電車が走っていたわけではありません。ホームで待っていたら、「ラッキー電車」が入ってきた、なんてことはありません。
つまり電車に「ラッキー」という意味づけをしたのはよし子さん自身なのです。たまたま間に合ったから、認知の脳が「ラッキー」という意味づけをして、心がごきげんになる。間に合わないと、認知の脳が「なんなの!」と意味づけするので、心が不きげんになる。
この意味づけが心をつくるということに気づいていないと、いつも心は外側の出来事に持っていかれ、翻弄されてしまうのです。
<本稿は『自分を「ごきげん」にする方法』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by ShutterStock
【著者】
辻秀一(つじ・しゅういち)
スポーツドクター
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