自分のお金が大事なら他人のお金も大事にすべきだ
◎オススメの記事
私が駐車場に放置されたショッピングカートを見て思うこと
以前からコストコに行くと、必ずしていることがある。
車を停めたあと、駐車場のすみに置きっぱなしにしてあるショッピングカートを見つけると、そのカートを押して入店するのだ。
若いころスーパーを経営していたのだが、毎年100個以上のカートが紛失・破損していた。お客がカートを家に持ち帰ったり、駐車場のすみに放置したりするせいだった。そのために毎年2万ドル以上の損害が出ていたことが思い出され、自分がお客として買い物に行くときも、ショッピングカートをぞんざいに扱うことはない。
我が子は大事にするのに、よその子には冷たい人がいる。自分の子は宝物のように大切なのだから、義理の娘や義理の息子もその実の親にとっては大切な子どもだ、という発想がないのだ。
お金に対する態度も同様だ。
自分のお金はとても大切にし、絶対に無駄遣いしないのに、公金や税金については無頓着な人がしばしばいる。軽微なケースでは、友だちのおごりのときは高いものを注文したり、飲み会で数人が飲みすぎたせいで支払いが高額になったりということがある。
自分が尊重されたければ、まず相手を尊重すべき
重大な例では、税金で作られた器物や物品を毀損したり、政府の補助金を水増し申請したり、脱税したりといった場合だ。公金、税金、会費、友だちのお金、親のお金は、すべて他人のお金だ。他人のお金に対する態度こそ、自分のお金に対する真の態度だ。
友だちがお金を出すときに高いものを注文したり、飲み会でふだんよりたくさん酒を飲んだりする態度は、あなたがお金をどう見ているのか教えてくれる尺度になる。
税金や公金などの公共の資産をないがしろにする人は、自分のお金もないがしろにしていることを理解すべきだ。税金からなる公共施設、道路、案内板、行事、医療サービスなどには、あなたのお金も一部使われている。友だちと食事をおごりあっているなら、自分がおごるときだけでなく、相手がおごってくれるときにも自分のお金が含まれていると見るべきだ。
自分が尊重されたければ、まず相手を尊重すべきだ。
それと同じく、
自分のお金が大事なら、他人のお金も大事にすべきだ。
私は持株比率100%の自分の会社でも、業務目的に合致する場合にしか法人カードは使わない。また、自社の売り場に行っても、必ず自費で買い物するようにしている。その会社の社長や売り場の店長の実績は売上によって決まるので、私が勝手に商品をもっていくと、会社全体の実績に響くからだ。たった1円でも、他人のお金だ。
税金は「自分の出したお金」だと勘違いしている人間
また納税は、国のシステムを利用するすべての人に課せられた責任であり義務である。自分の農場のなかに道を造り、小川に橋を架けるだけでも数億円の費用がかかる。あなたが一銭も出さずに、遠くの町まで車で行けるのも、あなたを含む多くの人が税金を払ってきたおかげなのだ。
税金はあなたのお金であると同時に、他人のお金でもある。合法的な節税は自分の資産を守る行為だが、脱税は他人のお金を盗むことであり、他人のお金をないがしろにする行為だ。
他人のお金を大事にしてこそ、自分のお金も大事にされる。他人の子を大切にしてこそ、あなたの子も大切にされる。息子が大切なら、息子の妻だって大切な存在であり、娘が宝物なら、娘の夫も宝物だと見なすべきだ。
私はいまでも、コストコの駐車場に放置されたショッピングカートを見たら、必ずそれを押して入店する。駐車場を駆け回ってカートを集める店員の仕事を減らしてあげようという気持ちからだ。
いまやコストコは、我が社の事業パートナーでもある。私はコストコの株を0.003%もった株主だからだ。うちの息子と他家の娘が結婚するように、うちのお金とコストコのお金が結婚したわけだ。
カートの車輪の片方は自分のものだという気持ちで、いっそう大切にしている。他人のお金を尊重すれば、そのお金が自分のお金になることもあるからだ。
<本稿は『お金は君を見ている 最高峰のお金持ちが語る75の小さな秘密』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
◎関連記事