見出し画像

私たちが統計の数字よりも「誰かの物語」に感情移入してしまう理由

戦争における戦死者の数を聞くよりも、はるかに心に残ったり動いたりすることがあります。私たちが「感情移入」するのは誰かの物語なのです。

『Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』より「心の理論」についての解説をお届けします。

『Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』 サンマーク出版
『Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』

アメリカで撮影も掲載も禁じられていた「写真」の理由

 18年ものあいだアメリカでは、メディアが「亡くなった兵士の棺」の写真を撮ったり、その写真を掲載したりすることが禁じられていた。

 2009年の2月、国防長官のロバート・ゲーツがその禁令を解くと、インターネットには一気に大量の写真があふれ出した。正式には、遺族に写真を掲載する許可をとらなくてはならないのだが、そういう決まりはないも同然になっている。

 しかし、そもそもなぜ棺の写真を載せることが禁止されていたのだろう? 戦争が悲惨なものだという印象を薄めるためだ。

 戦争でどれほどの犠牲者が出たかは、戦死者の統計を見れば誰でも確かめることができる。とはいえ、「統計」を見ても私たちの気持ちはそれほど動かない。だが、人間は──特に亡くなった人々は──私たちの「感情」を大きく揺り動かす。

 私たちのこうした傾向は、太古の昔から、集団で暮らさなければ生き残ることができなかったために生じたものだ。集団で生きるため、私たちは過去10万年のあいだに、ほかの人々が何を感じ、何を考えているかを感じとる鋭敏な感覚を身につけた。

 研究者はこの能力を「心の理論」と呼んでいる。

 ひとつ実験をしてみよう。

 あなたは私から100ユーロを受けとったとする。あなたはそのお金を、初めて顔を合わせた人と分け合わなくてはならない。分け方を決めるのはあなただ。

 相手があなたの提案を飲めば、お金はそのとおりに分配される。だがもし相手が拒否すれば、あなたは私にその100ユーロを返さなくてはならず、双方ともお金を手にすることはできなくなる。さて、あなたはどんなお金の分け方を提案するだろう?

 理屈の上では、相手にたった1ユーロ渡すだけでも十分意義がある。相手にとっては、何ももらえないよりはそのほうがいいはずだからだ。

 しかし、1980年代に経済学者がこの「最後通牒ゲーム」の実験を始めると(このゲームは研究者たちのあいだでそう呼ばれていて、80年代以降何度も実施されている)、被験者はまったく別の行動を見せた。彼らは相手に金額の30パーセントから50パーセントをオファーした。30パーセント以下では〝不公平〟に感じられたからだ。

「最後通牒ゲーム」は、「心の理論」があることを明白に裏づける実験のひとつだ。意識しなくても、私たちは相手の感情をくみ取ろうとするものなのだ。

 けれどもこのゲームのやり方をほんの少し変更すると、相手へのこうした寛大さは機能しなくなる。

 被験者を別々の部屋に分けて互いが見えない状態にし、それ以前に一面識もない場合、相手に共感することはほぼ不可能になる。相手は抽象的な存在にとどまり、オファーする金額も平均20パーセント以下に減少する。

私たちが「感情移入」してしまうのは、だれかの物語

 心理学者のポール・スロヴィックは、慈善団体への寄付を募る実験を行った。

 被験者のひとつのグループには、アフリカのマラウィに住むロキアというやせ細った子どもが懇願するような目を向けている「写真」を見せた。このグループの人々の寄付額は、平均2.5ドルだった。

 もうひとつのグループには、300万人の子どもが食糧難で苦しんでいるとマラウィでの飢餓状況を伝える「統計の数字」を見せた。ふたつ目のグループの寄付額は、ひとつ目よりも50パーセント少なかった。

 驚くべき結果である。食糧難の規模が明確になっている分、ふたつ目のグループからは、ひとつ目を上まわる額の寄付が集まってもよかったはずなのだが。

 しかし私たちはそんなふうには反応しない。統計の数字を見ても私たちの心は動かないが、人間は心を動かすからだ。

 メディアはずいぶん前から、事実を報道したり棒グラフを示したりするだけでは読者は獲得できないと承知している。

 記事には必ず名前があり、顔がある。株に関する記事なら該当企業のCEOが前面に押し出され(値動きの具合によって笑顔の写真が使われたり、やつれた様子の写真が使われたりする)、国に関する記事には常にその国の大統領の写真がある。地震について報じるときには犠牲者がその記事の顔になる。

 私たちが人間に感情移入する傾向があるからこそ繁栄している、非常に重要な文化的発明品がある──小説だ。

 この文学における発明品は、人間同士の、あるいは人間が内側に抱える葛藤を数名の登場人物の運命として描き出す。

 たとえば、17世紀のアメリカ・ニューイングランドのピューリタン社会における精神的拷問の方法については論文を書くこともできたはずだが、今日に至るまで私たちが読んでいるのは、そのことを題材にしたホーソーンの小説『緋文字』(光文社、2013年ほか)である。

 1930年代に起きた世界恐慌についてはどうだろう? 統計の記録は数字の羅列にすぎない。私たちの心にいつまでも残っているのは、世界恐慌の時代に生きた家族の物語、スタインベックの『怒りの葡萄』(新潮社、2015年ほか)である。

 結論。誰かの悲惨な運命について聞かされたときには、慎重になったほうがいい。

 その背後にある事実や統計的な分布について尋ねるようにしよう。それでもその人の運命に心を動かされないわけにはいかないだろうが、少なくとも正確な状況を把握できるようにはなる。

 反対に、あなたが話を聞かされる側でなく、独自の目標を追っている場合は、つまり、人々の心を動かし、注目を集め、目標達成に向けての協力を仰ぎたい場合は、あなたの活動に十分な人間味を加味するようにしよう。

<本稿は『Think Smart 間違った思い込みを避けて、賢く生き抜くための思考法』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
ロルフ・ドベリ
作家、実業家
【訳者】
安原実津(やすはら・みつ)

◎関連記事