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僕は目が見えなくなったからこそ「月」を感じることができた

 夜空に浮かぶ月。天気の良いタイミングで満月を見られたら、何とも得した気分になるものです。

 一方、今まで見えていた目が徐々に見えなくなってしまって、最後には完全に見えなくなってしまうとしたら……。

「目の見えない精神科医」として北海道美唄市で働く福場将太さんは、徐々に視野が狭まる病によって32歳で完全に視力を失いながらも、10年以上にわたって精神科医として患者さんの心の悩みと向き合っています。

そんな福場さんは視力を失いかけたとき、「月」を視覚以外でも感じられることに気がついたといいます。初の著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』よりお届けします。

『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』 サンマーク出版
『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』

「月」を視覚以外で見るには

 雪なら手触り、炎ならあたたかさ、花なら香りがあるけれど、この世界には視覚でしか認識できないものがあります。

 夜空に浮かぶ「月」もその1つです。

 いよいよ目が見づらくなってきた頃、私の生きている世界では、夜空から「月」が消えかけていました。

 当然落ち込みました。目が悪くなるごとに1つ1つ失って、ついにはあんなにも存在感の大きい物すら、私の世界からは消えてしまうのかと。

 そんな気持ちに潰されそうだったある日のことです。

 病院の行事で患者さんたちと海へ行きました。

 ザブリン、ザバリン。

 海の見える街で育った私にとって、波の音は懐かしく、そして優しく美しく、まるで昔一緒に遊んだ幼馴染みが出迎えてくれたような気がしました。

 沖から浜へ、浜から沖へ、過去から現在へ、現在から過去へと寄せては返す波の音。

 そのリズムはまるでフォークギターのストローク。

 その演奏に心を預けていた時、ふと気がついたのです。

「そういえばこの波って、月の影響によって起こっているんだよな」と。

潮の満ち引きというのは、地球と月が引力の押し引きをすることによって起きている現象です。

 だとすれば、たとえその姿を目で捉えることができなくなったとしても、決して私の世界から「月」がなくなったわけではない。

 波の音を感じれば、そこに月を感じることもできる。そんな思いに至ったのです。

 これは月に限ったことではありません。

 この世界のものはみんな、お互いに影響を及ぼし合って存在し、多彩な現象を引き起こしています。

 素敵な香りがしたのは花が咲いているから。

 花が咲いているのは誰かが種を蒔(ま)いてくれたから。

 一度も会うことがなくても、その誰かさんはこの世界のどこかに存在している。

 私が嬉しくなったのは、あなたが嬉しそうだから。

 あなたが嬉しそうなのは、空に上がった花火がとっても綺麗だったから。

 見えなくても、その花火は確実に私の生きている世界にも上がっている。

 こんなふうに「繋がり」を考えると、姿が見えなくても「存在」を認識することができる。

 そう気づいた頃から、人の存在を認識する感覚も、変化しました。

 以前までは、その人が近くにいることが、その人の「存在」を認識する大きな要素でした。ですが、その人がその場所にいなくたって、その人が残した影響というものは、案外たくさん残るものです。

「あれ? 休み時間の間に診察室の机にお菓子が置かれている。あの人が置いてくれたのかな?」

「トイレに行ったら、掃除をしたての匂いがしたなあ。スタッフさんが掃除をしてくれたんだなあ。有り難い」

 誰も写っていない写真だって、撮影した人が確かにそこにいた証明。こんなふうに、誰かがそこにいた形跡や痕跡というのは、世界に無数に刻まれているわけです。

 だから存在や想いは、時間も距離も飛び越える。

 作者がこの世を去った後でも、人々を魅了し続ける名作があるように。

 もう二度と会えなくても、ずっと心を支えてくれる人がいるように。

「一緒にいる」

「そばにいる」

「共に生きる」

 それは知り合いと手を繋いでいることだけじゃない。

 知らない人とだって私たちは繋がっている。

 時間も距離も飛び越えて、誰かの影響を受けながら、誰かに影響を与えながら。

<本稿は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by shutterstock


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【著者】
福場将太(ふくば・しょうた)
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。また2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXTVISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。

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