本を好きじゃなくなった人が増えたという話じゃない…「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」三宅香帆さんに聞いてみた
子供のころから読書が大好きで京都大学文学部へ進学した文学少女。好きな本をたくさん買って読むために就職したのに、社会人1年目で働いていたらスマホばかり見てしまって、本が読めなくなった。本をじっくり読みたくて、3年半後に会社を辞めたら、ゆっくりと本を読む時間が取れ、今は本や漫画の解説や評論を書く仕事に就き、たくさん本を書くことができている。でも、今の読書量は会社員を続けていたら無理だったと思う――。
「いや、そもそも本も読めない働き方が普通の社会っておかしくない!?」
そんな自分自身の経験と問題意識を発端に文芸評論家の三宅香帆さんが労働と読書の歴史をひもとき、日本の労働の問題点を突いた1冊『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)。今年4月の発売から1週間で10万部、現在は20万部を突破するほどのヒットとなっています。今月18日には、全国の書店スタッフが投票で決める「書店員が選ぶノンフィクション大賞2024」にも選ばれた話題の1冊です。
読書などの趣味と仕事の両立ができず、本を読まなくなる人が増えてしまっているのが、今の私たち。これは「個人のせいではなく社会の構造に原因がある」と三宅さんは指摘します。
(聞き手・構成:武政秀明/Sunmark Web編集長)
本を読みたいけど読めなくなった人が増えた
――『なぜ働いていると読めなくなるのか』は、今どの書店に行ってもビジネス書コーナーの一等地で大展開されています。
三宅香帆(以下、三宅):本書は2023年1〜11月にWEBサイト「集英社新書プラス」で連載した内容がもとになっています。連載時から、とくにタイトルやまえがきに対する反響の大きさに驚いていました。「働いていると本が読めなくなる」という体験に共感の声がたくさん寄せられたのです。そもそも新書の読者は40〜50代が多いと聞いていたのですが、今回の本は忙しく働いている20~30代の方にも読んでもらえるんじゃないかという予感がありました。
WEB連載の執筆時も、本書を発売してからも、私のもとには「私も働いているうちに本が読めなくなりました」という読者からの声がたくさん寄せられています。本にかかわる仕事をしている出版社の社員さんや書店員さんからも同じ話を聞くことがあります。
――まさに私も同じです。もちろん自社(サンマーク出版)の本は仕事柄よく読みます。一方、自社以外の本で考えると、読書に充てる時間は子どもの頃や学生時代に比べて明らかに減っています。確かに仕事に追われる日々を送りつつも、ある程度ヒマな時間はありますし、本をはじめ活字が好きでこの業界にいるのに、です。本書の帯コピー「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」はまさに自分のことを言い当てられていてドキッとしました。
三宅:それも個人のせいではなく社会の構造に原因があるというのが、日本人の読書史と労働史を並べて調べつつ、本書を執筆した中で私がたどり着いた答えです。「本を読みたいけど読めなくなった人が増えたのではないか」と。
自分から離れた文脈を受け取る余裕がない人のノイズに
――文化庁の最新調査によれば、電子書籍を含んで1冊も「本を読まない」と答えた日本人の割合は6割超にも上っています。三宅さんは本書で「社会の変化とともに、『情報』を求める人が増えた一方、読書によって得られる『知識』は敬遠されるようになったのではないか」と指摘されています。
三宅:読書によって得られる知識にはノイズ――自分が知りたかったこと以外の歴史的文脈や背景知識の説明が含まれます。人文書をはじめとしたノンフィクション、あるいは小説のようなフィクションには、読者が予想していなかった展開や知識が登場します。しかし忙しく働いていると、「予想していなかった展開や知識」に対して、「今はそれが必要なタイミングではない」と敬遠してしまう傾向があります。
読書とは自分から遠い人の声が聞けるメディアだと私は思っています。一方でインターネットで得られる情報は、自分がフォローしている人や思想が近い人の言葉が多くなってしまう。しかし現代は多くの人が、他者や歴史や社会という「自分から離れた文脈」を受け取る余裕がなくなってしまい、読書はノイズとして遠ざけられているのではないか、と。
――情報だけを求めてしまっている?
三宅:本書では、「情報」を「知りたかったことそのもの」と定義し、「知識からノイズを除去したもの」と考えています。スマホから繋がるインターネットの検索は、自分が知りたい、自分に関係のある情報だけを得るのに向いています。
もちろんその中で偶然の知との出会いがあったり、ノイズと出くわしたりすることもありますが、情報量が多すぎるSNSはとくに、基本的にはノイズを除去しながら使わざるを得ないのではないかと。
働きながら本が読めない社会になってしまっている
――気づくとスマホを介してSNSを眺めたり、延々とゲームに勤しんだり、知りたい情報だけを検索して調べたり、自分の興味に関連した記事ばかりを読んだり、関心のある動画をボーッと見てしまったり、といった日常を送っている人が多くなっているということですね。
三宅:私自身が体験したことですが、働いていると、学生の頃のようには時間がない。だからこそ必要な情報を最短で得ることを重要視してしまいます。また昨今は「働くことで自己実現しよう」と煽る風潮もあるので、余暇を過ごすとしても「副業したほうがいいのでは」「もっと仕事のためになる、充実した時間を送らなければならないのでは」と効率的に過ごそうとしてしまう。本来は、余暇と仕事は異なる時間であるはずなのですが。
社会の一部では好きなことが仕事になる人がいてもいいし、そうありたいと思う人がいるのはいいと思うんです。私もそうですし。しかし現代のように皆がそうしたほうがいい、そうあるべきだとする風潮には疑問があります。
そうして急き立てられると、多くの人々はノイズが受け入れづらくなる。そしてノイズが含まれた本を遠ざけてしまう。「仕事以外の文脈を取り入れる余裕のない」働きながら本が読めない社会になってしまっているんです。
――出版社を含むメディア側に立つとネット社会の進展に伴って競争が一段と激しくなり、「どうすれば読まれるか、見られるか、買われるか」「どう結果を出すか、数字を上げるか」ということをより重視せざるを得なくなっています。
三宅:現代の生活に合わせると、本もノイズを消したほうが読んでもらいやすいんですよね。たとえば自己啓発書はノイズを除去した本が多いですが、これは需要に合わせた結果。「売れるため」「読まれるため」には仕方のないことかもしれない。でも、本当にこの流れに乗ったままでいいのかという思いは個人的にあります。
偶然の出会いが減ってしまった
――逆に昔の人はなぜ本が読めていたのでしょうか?
三宅:教養が出世のために必要であった時代には、社会的に成功するために本を読まざるを得なかったんですよね。
しかし現代には、社会的成功のために必須の教養なんてほとんど存在しない。娯楽にしても、現代は社会全体や家族全体で共有するより、個人で読むものや見るものを選ぶことが増えていますよね。、「これを知っていないといけない」という共有知識がすごく減ってきています。だからこそ、現代で読書は、趣味の一つになっている。宝塚が好き、ジャニーズが好き、落語が好きとか、バスケットボールが好きとかと同じですね。
――ライフハックの情報を得る手段も読書だけではなくなって、動画視聴などに移ってきているのを感じます。昔は新聞や週刊誌などを買って読んでいると、自分が欲しかった情報以外のことを知る機会になるなど、偶然の出会いがありました。
三宅:メディア全体がノイズ除去の傾向に向かっていると思います。たとえば漫画雑誌もそうですね。昔は漫画雑誌を、好きな漫画の最新話を目的に買ったとしても、自分の好みじゃない連載や読み切りの作品も載っていた。でもそういうものも、やっぱり読んだり目に入れたりはしていたんですよ。だけど、現代では漫画アプリで一話単体の購入が可能になった。すると知らない漫画は目に入らない。あるいは音楽も、CDアルバムで聴いていたときは、いろんな曲に出会いました。でも今はサブスクで聴きたい曲だけ聴いている。つまり今は漫画も音楽も、あるいは新聞記事ですら、欲しいものだけを単品で購入できるので、ノイズが入りづらくなっています。
「全身全霊」をやめませんか
――出版社の一員だからということもありますが、それを抜きにしても仕事以外の文脈を取り入れられる読書の文化が廃れることは、個人にとっても社会にとっても望ましくないと思いました。2010年代後半に「働き方改革」の風が吹き始めたとはいえ、まだまだ非効率な長時間労働は残っているという問題もある中で、私たちはどうすれば働きながら本が読めるようになれるでしょうか。
三宅:本書の結論は最終章の「『全身全霊』をやめませんか」にあります。日本にあふれている「全身全霊」を信仰する社会をやめよう、という話です。本も読めない働き方、つまり現代の新自由主義的な仕事のあり方に全身でコミットメントするのは危うい、と私は考えています。メンタルヘルスを壊しかねませんし。
社員には全身全霊で働いてもらったほうが、企業にとっても国にとっても都合がいいかもしれない。でも本当に、全身全霊の働き方がスタンダードでいいのかと思います。週5日/1日8時間+残業ありで働かないと正社員になれず、それが無理なら非正規雇用という社会は、今後も持続可能なのでしょうか。
非正規雇用の人は不安定な身分で雇われていて、職場に定着しづらく、その人の知見が職場にたまっていかないという側面もあります。でも、親の介護をしながらとか、病気になってしまったとか、「フルタイムでは働けないけどパートタイムなら働ける」という事情を抱えている人もいます。そういう人が正社員になれない世の中では、国の労働力は減る一方ですし、個人のメンタルヘルスも危うくなるばかりではないかと。
働きながら本を読める社会をつくるには
――本書では「『半身で働こう』とのコミットメントこそが、新しい日本社会つまり『働きながら本を読める』社会をつくる」という提言をされています。
三宅:社会学者の上野千鶴子さんが「全身全霊で働く」男性の働き方と対比して、自分たち女性はもともと家庭と仕事を半分半分で働かざるをえなかったことについて「半身で関わる」という言葉で表現されています。
高度経済成長期の男性たちは全身で仕事することが求められ、妻が専業主婦として家庭に全身で浸かることが求められました。それでうまくいっていた時代は良かったかもしれませんが、現代は違います。共働きが増え、いろんな人がいる中で、労働人口を確保しなければなりません。全身全霊で働く人がスタンダードであるままでは、労働人口を確保できないのではないかと
――全身全霊でコミットメントする以外の選択肢がある。
三宅:仕事に全身全霊を傾けたほうがいいタイミングは、人生のある時期には存在するでしょう。でもそれはあくまで一時期でいいはずです。社会のスタンダードとしては、働きながら本を読めたり家事をできたりする「半身」の働き方を当然とすべきではないでしょうか。
――「だからこそ、あなたの協力が必要だ。まずはあなたが全身で働かないことが、他人に全身で働くことを望む生き方を防ぐ。あなたが全身の姿勢を称賛しないことが、社会の風潮を変える。本書が提言する社会のあり方は、まだ絵空事だ。しかし少しずつ、あなたが半身で働こうとすれば、現代に半身社会は広がっていく」という最終章の呼びかけが、一読者として特に響きました。
三宅:社会全体にとっても、もうちょっと余裕を持って働けるようにしたほうが、長期的に良い影響があるのではないか、と思います。1人でも多くの方に本書を読んでもらえたら嬉しいです。
(10月26日にインタビュー後編を配信します)
【プロフィール】
三宅香帆(みやけ・かほ)
文芸評論家
1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。著作に『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数。
(撮影:photosofa/木村 有希、編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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