決めつけ、事実、真実の本当の違いを知っていますか
◎オススメの記事
「事実」を見る
私は「勝手な決めつけ」が嫌いだ。そんな私でも、実際はあらゆることに対して勝手に決めつけている。
たとえば、メールの返事がなかったりすると、私のことなどどうでもいいと思っているのだろうと決めつける。誰かが私に対して謝罪すると、どうせ本気の謝罪ではないと決めつける。頭が痛くなると、何かの病気だと決めつける。
これらの思考はすべて実用的ではない。なぜなら、決めつけと事実は違うからだ。
明晰思考を実践したいのなら、勝手な決めつけをすべて捨て、事実だけを見なければならない。
この姿勢をいちばん的確に表現しているのは、プラグマティズムの生みの親ウィリアム・ジェームズの言葉だ。
「プラグマティズムがまず重視するのは確固たる事実だ。その事実を前提にして個別の事例における真実を観察し、そこから一般論を導き出す」と彼は言う。
もっとわかりやすく説明するために、意思決定の2つの方法を見てみよう。1つは事実に基づく意思決定、もう1つは決めつけに基づく意思決定だ。
私はできるかぎり決めつけを避けるようにしている。ただ事実だけを見て、そこから結論を導き出したい。
とはいえ、事実をあてにできないときはどうすればいいのだろう? たしかに、どうしても事実が見つからないこともあれば、ぐずぐずしていないですぐに決めなければならないこともある。そういったケースはごくまれではあるが、もしそうなったら、私は自分の直感を信じることにしている。
いずれにせよ、他人の勝手な決めつけに左右され、自分の思考を無駄づかいするようなことは絶対に避けなければならない。
「説得」しようとしてもムダ
しかし、ここで1つ、疑問が浮かんでくる。事実と真実は同じものなのだろうか? 答えは「ノー」だ。
混乱するのはよくわかるが、これも人生と同じと考えてみよう。たとえば、はたして神は存在するだろうか? 私に答えはわからない。神が存在するという証拠は一度も見たことがない。しかしだからといって、神は存在しないことになるのだろうか?
ここで私がどう思うかは関係ない。あなたの人生がたしかに神から影響を受けているというのなら、科学者が何と言おうとも、あなたにとって神は「真実」だ。
ドイツ人の哲学者で、西洋哲学に多大な影響を与えたフリードリヒ・ニーチェは、こんな言葉を残している。「この世に事実は存在しない。ただ解釈があるだけだ」
ニーチェは自分自身を知り尽くした人物だった。心理学者のジークムント・フロイトは、そんなニーチェに感心し、「彼ほど自分自身を深く理解した人物はかつて存在せず、これからも存在しないだろう」と言った。ニーチェの思考は非常に分析的だった。そして自分自身の思考が対象になると、その分析は特に鋭さを増す。
「この世に事実は存在しない」というニーチェの言葉が意味するのは、人間である私たちにとって、現実とは究極的に「自分の解釈した現実」でしかないということだ。この現実を客観的に確認する方法は存在しない。
しかしだからといって、この世にたしかなものは何一つ存在せず、誰もが大きな夢の中で生きているという意味ではない。ただ、「事実と真実は違う」という認識を忘れてはいけないということだ。
事実と真実は違うということを知っているだけで、かなりのエネルギーを節約することができる。なぜなら、真実と事実が違うなら正解も間違いもないということであり、それを理解していれば、自分とは違う「真実」を信じている人をわざわざ説得しようとは思わなくなるからだ。
他人の真実を変えようとするのは、まったくの無駄な努力だ。もっと他の役に立つことのために貴重なエネルギーを使うようにしよう。
<本稿は『まっすぐ考える 考えた瞬間、最良の答えだけに向かう頭づくり』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
◎関連記事