トリニダード公国という「人口0人国家」が存在した歴史を知っていますか
ただの「王室ファン」が建国した人口0人国家が、かつて1893年から1895年のたった2年の間に、ブラジル領に存在していました。その名はトリニダード公国。南米大陸・ベネズエラのすぐ近くに浮かぶ島国「トリニダード・トバゴ」とは全く別の存在。どんな歴史があったのでしょうか。
オックスフォード大学で考古学と人類学を専攻した作家、アニメ脚本家のギデオン・デフォー氏が、消えた48国の歴史をまとめた『世界滅亡国家史』よりお届けします。
ブラジル沖の大西洋に存在
トリニダード島は美しい砂浜とヤシの木が自慢のカリブ海のリゾート地だ。
実は、ブラジル沖の大西洋にも同じ名前の島が存在する。ただ、こちらのトリニダード島はカリブ海のほうに比べると魅力に欠ける。
アピールできる点は、とがった岩場が多いこと、小さなカニがあちこちにいること、そしてときおりカメが姿を見せることぐらいだ。
「民主主義」が嫌すぎて国を作る
ジェームズ・ハーデン=ヒッキーの目に留まったのは、この魅力に欠けるほうのトリニダード島だった。
サンフランシスコで生まれ、子どもの頃に共和制のパリに移住したハーデン=ヒッキーは、熱心な王室ファンだった。彼が今生きていたら、きっと「ダイアナ妃の記念プレートセット」を買っていただろう。
彼は自分で新聞を発刊し、読者が眉をひそめるほどの王政びいきの主張を繰り返したために、何度もバッシングにあい、何十件もの訴訟を抱えることになった。
1880年までに、11冊の小説(そのうちのいくつかはジュール・ヴェルヌ[『海底二万里』著、SFの父]のプロットを「借用」したもの)を出版したが、そのほとんどは反民主主義の色が強い内容だった。また彼は、毒薬のリストを収録した自殺の美学についての本も書いている。
訴訟のせいでフランスから追放されたハーデン=ヒッキーは、極端なまわり道をしてチベットへ向かう途中に、小さな島があることを知った。どうやら所有者のいない無人島のようだった。
民主制を嫌悪するこの男はこれを絶好のチャンスと思い、すぐにトリニダード公国の大公ジェームズ1世を名乗って島の主になった。
この「公国」には、すでにちょっとした歴史があった。ポルトガル人が何年も前に入植を試みたが、途中で挫折して去っていったのだ。その後も、宝が埋まっているという噂(1)を聞きつけた冒険者が何人か島を訪れたが、無駄骨に終わった。
しかしハーデン=ヒッキーは、自分の国を地図に載せようと決意した。そして、よく愚痴を聞いてくれる実業家の義父から資金援助を受け、ニューヨークに大使館を建て、宝石職人に派手な王冠を作らせた。
さらに、島の名物として「トリニダード公国騎士団」を創設し、外国人の客を呼び込もうとした。
彼の壮大な計画にとって不運だったのは、1895年までに遠距離通信が注目されるようになり、イギリスがブラジルへの大西洋横断ケーブルを敷設している最中だったことだ。
トリニダード島はその中継地点として都合がよかったので、イギリス帝国は島の領有権を主張した(2)。
突然地位を追われた大公は、ニューヨークの大使館から、このちょっとした帝国主義を非難する怒りの手紙を書いた(3)。彼はアイルランドからイギリスに攻め込むというとんでもない復讐計画を立てたが、気前のよかった義父から資金援助を断られたために、ひどく塞ぎ込んでしまった。
その後、マスコミの格好のネタにされた彼は、1898年にエルパソにあるホテルを予約し、そこで、かつて自分の本で取り上げた毒薬を使って自殺した。『ロサンゼルス・ヘラルド』紙は、「バロン・ハーデン=ヒッキー、あの世の紳士になることを選ぶ」と、そっけなく報じた。
トリニダード公国〈1893~95年〉
人口:0人
滅亡原因:電話
現在:ブラジルの一部
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<本稿は『世界滅亡国家史』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 SUNMARK WEB編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ギデオン・デフォー(Gideon Defoe)
作家、アニメ脚本家
【訳者】
杉田 真(すぎた・まこと)
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