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すれ違いの末に失恋した彼女がつくった天才レシピ

2023年12月に発売となった新作小説『元カレごはん埋葬委員会』(川代紗生著)の第6話『仕事と俺どっちが大事なのチョコレート』の試し読みを全3回連載。

第1回「失礼を癒やしに喫茶店へ来た彼女が語り始めた過去」(2月14日配信)第2回「「俺と仕事、どっちが大事?」言わせた彼女の葛藤」(2月15日配信)の続きとなる第3回をお届けします。

『元カレごはん埋葬委員会』

◎第1回はこちら

◎第2回はこちら

 店長が言う。「彼のこと、好きだった?」

 窓の向こうにある白い自動販売機が雨で濡れ、ぼんやりと鈍い光を放っていた。

「正直、わかんない。今でも考えるよ。あの気持ちはなんだったんだろうって。ただ……」と、菊乃さんは言葉を切ってから、まるで自分自身に言い聞かせるように、言う。「ただ一つはっきりしてるのは、私は、仕事が好き。仕事をがんばってる自分も好き。これだけは絶対ぶれない事実。だから、そういう私じゃなくて、マニュアル通りの恋愛ができる私を求めてくる彼に、どうしても、心を開けなかったんだと思う。ひどいこと、したよ」

「ひどくなんて……」

「だって、『マニュアル通りの恋愛ができる女のふり』をしつづけてたのは、私なんだもん。お料理教室で習った、いかにもいいお嫁さんっぽいレシピだけを出して、気に入ってもらえるように仕向けて」

 本当は全然、違うのにね、と、菊乃さんは首元をさすって空笑いをした。

「職業とか、末っ子かどうかとか、『みんなが正解って言ってくれる人』っていうのが、まず、第一条件でさ。その条件をクリアした人を好きになろうとしてたから、自分の気持ちに自信が持てなくなったのかもしれないね。自分はまわりからずれてるってさんざん自覚してるくせに、なんでか結婚相手を選ぶときには、『なるべくみんなから好かれる人』を必須条件にしてた。不思議だよね」

 ああ、わかるなあ。

「わかる、わかるよ、菊乃さん」

「ももちゃん……えっ、また泣いてんの? いや、まあこれは泣くか」

 わかる、わかる、わかりすぎて、胸が痛い。

 東京タワーで夜景は見たい。サプライズでプレゼントをしてほしい。手をつないで、三回目のデートで告白してもらって。相手に幻滅されないように、ハンバーグや肉じゃが、間違いのない料理を作って。結婚式は表参道で、婚約指輪はカルティエか、せめてティファニーで。

 こんなにも「みんなと同じ」がいいのに、「みんなと同じ女」に擬態している自分を好きだと言われると、ふっと、寂しさがつのる。自分はずれてるくせに、ずれているところを受け入れてほしいくせに、相手には、ずれていない、みんなに「正解」と言われる人であってほしい。

 なんでこんなに、矛盾した感情。

 ぐずぐずと泣いている私をなぐさめるように、菊乃さんは私の頭をなでる。

「でもね、聞いて。私本当は、チョコレート、持ってってたんだよ」

「……え?」

「さすがにいつも申し訳ないから、バレンタインだし、ちゃんと作って渡そうと思って。私、チョコも大好きだから、毎年、自分のために作ってたの。配合もこだわった生チョコのレシピがあって。それを彼にも食べてもらおうと思って……渡せなかったけど」

「えっ、待って待って」

 それって、つまり。

「料理教室で教わったレシピじゃなかったってこと!?」

 菊乃さんは、黙ってこくんとうなずいた。

「なっ、なっ、なっ……」

 そんなことって。自分が正解だと思うレシピをはじめて持っていったその日に、お別れしちゃった、ってこと、だよね?

「食べさせられなかったって、そういうことか……」

 黒田さんが、坊主頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

「で、結局それ、どうしたの? 自分で食べたの?」と店長が訊ねる。

「縁切り神社のゴミ箱に捨てたよ」

「縁切り神社!?」

「会社の近くに、縁切りで有名な神社があってさ。そのゴミ箱に。お互い、いいご縁がありますようにーって、お祈りしながら捨てた」

「せっ、せつな……。せつなすぎるよ、菊乃さん!」

 きっとオーランドは今も、菊乃さんが、手づくりのチョコレートを用意してくれていたことを知らない。仕事と彼の二択で、即断即決で「仕事」を選んだわけではないことを知らない。

 何がいけなかったんだろう。

 オーランドがもっと、待てていれば。菊乃さんがもっとはやく歩み寄れていれば。あと一日、いや、あと一時間はやければ、もしかしたら。

「ねえ、菊乃さん、明日って休みですよね?」

 私は衝動的に、思いついたことを口にした。

「まあ、一応」

「じゃあ、作ろう。作ってみんなで食べよ!」

「えっ、何を?」

「だから、そのチョコだよ! 徹夜でチョコレート作ってさ、冷やしてるあいだにみんなで宴会しようよ。それで埋葬しよう!」

「ちょ、ちょっと待って、私、そこまでしてもらうつもりは」

 さすがの菊乃さんも想定していなかったのか、目を丸くしている。

 でも、ここで引き下がったらダメだと思った。

 きっと菊乃さんは、六年前にあのチョコを食べてもらえなかったことが、ずっとずっと、引っかかっているのだ。自分だけの「正解」をぶつけなかったことが、魚の小骨みたいに、喉の奥に刺さったまま、とれなくて。

 だから。

「私たちが食べる。そのチョコの感想、ちゃんと菊乃さんに伝えるから」

 そうしないと、この恋は終わらない気がするから。

「……そうだね。うん、わかった。このタスク、完遂させようじゃないの!」

 菊乃さんは腕まくりして、にやりと笑った。

 いつのまにか、雨はやんでいた。

 まだぼんやりと薄暗い港区のオフィス街には、ほとんど人気はない。ふくらはぎの筋肉が見事に発達した男性ランナーとミニチュアピンシャー、華金の残骸をほうきで片付ける居酒屋スタッフ、おそらく同伴帰りだろう、酔っ払ったサラリーマンをハグしてからタクシーに乗り込むキャバクラ嬢。

 それから。

 くっきりとしたクマを作ってふらふらと歩く、イケメンがひとり。

「ちょっと店長、徹夜したくらいでなんでそんなにズタボロになってるのよ」

「徹夜したくらい? ももちゃんはずっとチョコの味見ばっかりしてたからそんなこと言えるんだよ……うっぷ」

「あーあ、大丈夫ですか」

 黒田さんが二日酔いで真っ青になっている店長の肩に腕を回し、体を支える。

 まあ、店長がそうなる気持ちもわかる。なにしろ、菊乃さんはすごかった。

 チョコレートは思いのほかすぐに完成し、私たちは意気揚々と宴会をはじめたのだが、店長がノリで勝負をしかけたのが運の尽き。埋葬委員会の時点でブランデーをストレートで三杯は飲んでいたはずだが、菊乃さんはそのあともばかすかと涼しい顔で飲みまくり、結局、店長が「まいりました」と白旗をあげたのだった。

「あっ、あったあった。あの神社!」

 菊乃さんはあいかわらず、大股でずんずん歩く。

 トレンチコートのポケットにぎゅっと手をつっこみ小走りで近づくと、なるほど、オフィス街の一角にすっと隠れるように、小さな鳥居が立っていた。

 神社といっても、小屋のような祠とちょっとした賽銭箱が置いてあるだけの、ひっそりとした空間だ。入り口の脇に、プラスチックのゴミ箱が置かれている。神社の隣にはこれまた小さな公園があった。「そう、ここに捨てたのよ。懐かしいなあ」

 私たちはひとまず公園のベンチに座り、チョコレートを食べることにした。

 タッパーの蓋を開けると、ふわりと、ほろ苦いチョコレートの香りが漂う。そっと前歯でかじると、まろやかなチョコレートの甘さが、口いっぱいに広がった。

「はあ……」

 思わず、ため息が出た。

「やっぱりさ」

 一粒目のチョコレートを飲み込んでから、菊乃さんが言った。

「これ、おいしいよね!?」

「うん、めっちゃおいしいよ」

「お店で売ってるチョコレートみたいです」

「やっぱり私、天才だわ」

 菊乃さんはそう言って、また一粒、口に入れる。

「みんな、ありがとう。このチョコレート、六年ぶりに食べられたわ」

 きっと菊乃さんは、本当にこのチョコレートが好きだったんだろう。目をつぶって甘さを堪能するその表情から、それが伝わってきた。

 よかった。菊乃さんは、このレシピを自分のもとに取り戻せたのだ。

「あ、見て!」

 そのときふと、ビルとビルの隙間から光が漏れているのに気づいた。

「朝日だよ」

 スマホを見る。五時四十六分。そうか、もう日の出の時間だったんだ。

 私と菊乃さんはそのまま、朝日が一番よく見える場所に移動して、オフィス街の空が少しずつ朝の色に染まっていくのを、しばらく眺めていた。

「ねえ、ももちゃん」

 菊乃さんは、朝日に照らされて、少しまぶしそうに目を細める。

「ももちゃんは、結婚したい?」

「……うん。したい。でも」

「でも?」

「したいと思っちゃう自分がいやだって気持ちも、ある」

「ふふっ」

「なに?」

「いや、わかるなあ、と思って」

 結婚なんてしなくても幸せと断言できたなら、まわりと同じじゃなくても大丈夫と言える自信があったなら、どんなによかっただろう。

「あのときの選択に、後悔はないの」

 菊乃さんは、朝日を見つめながら言った。

「私にはやっぱり仕事が大事だし、きっと、六年前のバレンタインに戻って同じことを聞かれたとしても仕事って答えると思う。ただときどき、本当にときどきだけど、ふっと思うことがあるの」

 そして、私の方を振り向いて、もどかしそうに笑う。

「もっとちゃんと恋愛できる人間だったらよかったのにな、って」

「おーい、そろそろお参りしにいかない?」

 ベンチで休んで少し回復したのか、店長が遠くから呼んでいる。

「いこっか」

 菊乃さんは、ゆるんだ髪をきゅっと一つに結い直しながら、店長たちの方へと向かう。

 ざわざわと、胸の奥が揺れる。

 もっとちゃんとした恋愛が。

 そうだよ。たしかにそうだよ。

 でも、だけど。

「でも、菊乃さんは」

 考えがまとまらないうちに、言葉が勝手に飛び出していた。

「菊乃さんは、自分で自分を幸せにできる人だよ。ちゃんと働いて、がんばって、お肉を食べさせて……。自分の正解を、ちゃんと信じられる人だよ」

 菊乃さんが、こちらを振り向く。ポケットに手を入れたまま、私を見つめている。

「私も、仕事が好き。今の場所で働く自分が好き。そう思えるようになった自分を、そう思えるようになるまでがんばってきた自分を誇りに思うし、やっぱり、そういう自分を捨てたくないよ」

 菊乃さんに言っているのか、自分に言い聞かせているのか、もはや、よくわからなかった。

 でも昨日、菊乃さんに出会えて。自分で稼いだお金でおいしいお肉をたんまり食べるところ、すぐ仕事のことを考えてしまうところ、たぶん仕事に夢中になりすぎたばかりに、ネイルの爪が伸びきってしまっているところ。

「最後の最後で、仕事が好きな自分をちゃんと認められた菊乃さんは、死ぬほどいい女なんだってこと」

 そういうの、全部、全部、かっこいいなって、こういう生き方がしたいなって、思ったんだよ。

「忘れないで、ほしい」

 どうか、届いてほしいと願った。

 空が、青色に染まる。

 さっきまでグレーだったのに、太陽の光は一瞬にして、街の景色を変えてしまう。

「大丈夫、わかってるよ」

 菊乃さんはそう言って、にっこりと笑った。

「ありがと、ももちゃん」

 たしかに、みんなと違う道を選ぶのは怖い。年齢を重ねれば重ねるほど焦ってしまうこの気持ちは、きっとこの先も変わらないだろう。

 でも、私には、自分で自分を幸せにする力がある。

 そうだよね。

 少なくとも私は、そう信じたいんだよ。

「はー、すっきりした。じゃ、ちょうど近くまで来たし、私、今から会社行くわ」

 神社でお参りをすませ、四人でチョコレートを食べ終わったあと、菊乃さんはとんでもないことを言い出した。

「え、徹夜したのに!?」

「このくらい余裕だよ。そのために肉食べてるんだから」

 じゃあ、ありがとねー! と、こつこつヒールの音を鳴らし、三十階はあろうかと思われる、ガラス張りの高層ビルの方へ、颯爽と歩いて行く。

 あれだけ食べて飲んで、チョコレート作って、神社で埋葬までしたのに。

 すごすぎて、ぷっと笑ってしまう。

 菊乃さんの背中が、どんどん遠ざかっていく。バッグの中から、ストラップ付きの社員証を取り出し、またあの大きな歩幅で、意気揚々と仕事へ向かう。

 やっぱり素敵だ。追いかけたい人だ。

 しびれるほど素敵な、涙が出るほど素敵な人だと、心からそう思った。

「また肉定食、食べにきてくださいねー!」

 菊乃さんの背中に向かって、大声で呼びかける。

 次は絶対に、菊乃さんに満足してもらえるような定食にしよう。

「準肉は勘弁してよ!」

 菊乃さんは最後に大きく右手を振り、人工的なガラスの箱の中へと、吸い込まれていった。

 光が建物に反射して、視界のすべてが、透明な青で埋め尽くされる。

 とっておきの仕事ができそうな、気持ちのいい朝だった。

<仕事と俺どっちが大事なのチョコレート>
[材料(5人分)]
ミルクチョコレート …………… 100g
カカオ70%チョコレート …………… 100g
純生クリーム …………… 100g
キルシュ(リキュール) …………… 小さじ1杯
はちみつ …………… 小さじ1杯
ココアパウダー …………… 少量

[作り方]
【1】 チョコレートをこまかく刻む。
【2】 鍋で生クリームを温める(鍋のふちに小さな泡が出てきたら火をとめる)。
【3】 【2】に刻んだチョコレートを入れてなめらかになるまでよく混ぜる。
【4】 キルシュ、はちみつを加えて混ぜる。
【5】 ラップを敷いたステンレス製のバットに【4】を流し込む。
【6】 冷蔵庫でかたまるまで冷やす。
【7】 新しいバットにココアパウダーを敷き、チョコレートをのせて、上からもココアパウダーをまぶす。
【8】 四角くカットする。
※このとき包丁にもココアパウダーを薄くつけると刃にチョコレートがくっつきにくくなります

【著者】
川代紗生(かわしろ・さき)


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