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1億円の慰謝料を勝ち得ても幸せになれない人の心

 家族や人間関係において心の底から相手を許せないとき、法という武器を手に取るケースがあります。ただ、それが本当に幸せへの近道にならないことも。

 離婚相談を1万件以上受けてきた九州第1号の女性弁護士・湯川久子さんのロングセラー『ほどよく距離を置きなさい』よりお届けします。

『ほどよく距離を置きなさい』

家族や人間関係における法律の役割

「1億円の慰謝料がほしい」

「他に女をつくって出ていったあの男に償わせ、一生苦しめてやりたい」

 感情のままに恨みを吐き出す相談者に、私が問いかけていることがあります。

「あなたにとって、裁判に勝つってどういうこと? 私は、あなたが幸せになるお手伝いならしますが、あなたを苦しめた人を苦しめるだけの手伝いはしたくありません」

 私は、家族や人間関係において法律は、誰かを裁くためにあるのではないと思っています。そして、弁護士も、相手方に勝つために戦っているのではなく、依頼者が幸せになるためのお手伝いをしている。少なくとも私はそんな気持ちで法廷に立ってきました。

 以前、私が担当したある離婚事件の話です。

 私は夫側の代理人として携わっていました。

 夫はとにかく早く離婚したいという思いでいっぱいでしたが、妻のほうは、夫に対する不信感がとても強く、たびたびこう言いました。

「夫のことはもう信用できませんから」

 調停で、「慰謝料を1年かけて支払う。その支払いが完了すると同時に、離婚届を出す」という話になったのですが、妻は断固としてYESと言いません。こちらが「責任を持って払わせますから」と伝えても何の返事もありません。最後は裁判官もさじを投げてしまい、話がまとまりませんでした。

 ここで終わらなければ、離婚は成立せず、裁判を起こすとなれば、苦しみはまた数年続くことにもなりかねません。

自分が誠意と信頼をもって相手に接すると

「奥様と直接お話をさせていただけないでしょうか」

 私は裁判官にそうお願いし、相手方である奥様と、30分ほど裁判所の一室でお話させていただくことにしました。

 お話ししたのは、離婚についてではなく、ほとんど世間話だったと思いますが、話しているうちに妻の表情が柔和になりました。

「私、この先生を信頼します」

 妻はそう言って、慰謝料の支払いが終了すると同時に提出すると言っていた離婚届に判を押し、私に預けてくださったのでした。

 自分が誠意と信頼をもって相手に接するとき、相手の心にも誠意と信頼が生まれます。

 法をかざすのではなく、誠意と信頼にもとづいた交通整理をしようとするとき、物事は解決に向かって動き出します。法とはあくまでも、もつれた糸をほどき、お互いが幸せになるための道具であり、基準だからです。

 昔、愛人をつくって家を出た外国人の夫が相談に来たことがありました。妻との間には2人の子どもがいて、妻も愛人も日本人でした。

「愛がなくなったら離婚すべきだと思います」

 彼は私の目をまっすぐに見てそう言いました。

 当時は離婚する夫婦がめずらしかった時代です。

「どんなことがあっても、我慢して離婚だけはしない」という夫婦が多かった日本で、彼の言葉はとても新鮮でした。

 もちろん、法の視点で見れば彼がしたことは悪いことです。世間の目から見ても、ひどい夫と言われる立場かもしれませんが、「今の妻とはどうしてもやっていけない。でも、慰謝料は可能なかぎり用意するし、子どもたちには二つの文化を伝える義務があると思うから、親権を得て、責任を取っていきたい」という彼のまっすぐさと責任感を感じたのです。

 妻も夫の提示した内容で合意し、その後、子どもたちは父と母のもとを行ったり来たりしながら両方からの愛情を得て育つことができるようになりました。

 もしも、妻が正しさを主張し、夫を法で罰することを望んだならば、調停は長引き、裁判にまで発展し、子どもたちが成長する時期に片親が不在ということになっていたかもしれません。

 私は、相手方である妻にも感謝と敬意を表し、事件は幕を引きました。

勝ち負けへのこだわりで再起のタイミングを失うことも

 人間関係の問題を抱えているとき、人は、自分の正しさを主張して、相手に勝とうとしますが、相手を打ち負かしたところで、何になるでしょうか。一時の高揚感はあるかもしれませんが、相手を裁いたむなしさはずっと心の奥に残ります。

 相手を打ち負かそうとするのではなく、心をほどいて、自分が幸せになるための選択をしてほしいと思います。

 また、勝ち負けにこだわることで人生の再起のタイミングを失うこともめずらしくありません。

 ある離婚事件で、「浮気をして出ていった夫がゆるせない」という妻がいました。夫のほうは新しい女性との結婚を望み「せいいっぱい800万円の慰謝料を払うから離婚してほしい」と告げました。

 離婚の調停の場合、財産分与はそれなりに予測できるとしても、慰謝料の相場は300万円か、多くて500万円。それ以上の提示がされることはほとんどありません。

 ですからこのときも、もちろん依頼者には強く和解をすすめましたが、妻は夫への復讐心から「1000万円の慰謝料をくれないなら離婚しない」と頑として譲らず、調停は不調に終わりました。

 結果、夫の愛人だった若い独身女性は「もう待てない」と夫のもとを去り、別の独身男性と結婚したようです。そうすると、急いで離婚する必要もなくなった夫が「もう慰謝料は払わない」と言い出し、話し合いは頓挫してしまいました。

 妻は夫に制裁を加えたかっただけで、いまさら夫とよりを戻すつもりなどありません。結局、慰謝料も取れないまま離婚もできず、宙ぶらりんのまま終わりました。

 あのとき離婚していれば新しい人生を楽しく生きられたかもしれません。

 勝ち負けやプライド、またはお金にこだわってしまうことで、好機を逃すことは人生にとってマイナスです。

 機を逃せば、人生の再起をしづらくすることも少なくありません。「相手を打ち負かしたい」「苦しめたい」ということだけに心をとらわれているかぎり、心の平安はずっと先伸ばしになってしまうのです。

相手を打ち負かした高揚感は
相手を裁いたむなしさに変わる

――それによってあなたは幸せになれますか?

<本稿は『ほどよく距離を置きなさい』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock


【著者】
湯川久子(ゆかわ・ひさこ)

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