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目の見えない精神科医が「説明が苦手な人」に伝える、グッとわかりやすくなるコツ

「伝えた」と「伝わった」は、しばしば違う場所に着地します。私たちの誰もが経験するこの現象。謎を解く鍵を、北海道美唄市で「目の見えない精神科医」として働く福場将太さんは、意外なところで見つけました。

 福場さんの著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』よりお届けします。

『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版) 書影
『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』

伝えたのに伝わらない理由

「ねぇねぇ、これ見て。すごいでしょ」

「わぁ! それ良いね」

「じゃあ私のこれと交換してみない?」

「いいけど、それならあっちのほうが合うんじゃない?」

 こんなふうに目が見えている人たちは、そこに見えているものをいちいち説明したりせずに話します。ですから、見えない人からすると、代名詞だらけのその会話は、「これって何のことだろう?」「それって一体なんだ?」ともはや推理ゲームです。

「これぐらいの」と身振り手振りで示す会話も、見えている人たちの特権です。

 見えていないと、「これくらい」が両腕を伸ばしたビッグサイズなのか、おにぎりを握ったくらいのスモールサイズなのかさっぱり分かりません。

 また、多少言葉が間違っていても成立するのが見えている人たちの会話。

 同じ物を見ているから、相手の言い間違いも脳内で自動的に修正することができるのです。

 しかし見えていない人間にとっては、言葉や固有名詞を間違えられたら一巻の終わり。ずっと間違ったまま会話が進んで、どんどん実際とのギャップは大きくなってしまいます。

視覚情報に頼る会話の弱点

 当たり前のことですが、見えている人たちの会話は、視覚情報に大きく依存しているわけです。

 ただ、そんなふうに視覚情報ばかりに頼って会話することで、齟齬が起きたり、勘違いが生まれたりすることがあります。

 例えば、待ち合わせをするとなった場合。

 見えている人たちは「○○駅の東口の改札出たとこで」とひと言で済ませます。

 でもこれ、大きな駅だと範囲が広過ぎて、みんなが同じ場所をイメージしているとは思えません。改札の目の前で待つ人もいれば、改札から数メートル前の辺りで待つ人、あるいは改札からまっすぐ進んだ壁際で待つ人、あるいは駅の出口で待つ人もいるかもしれません。

「改札出たとこって言ったじゃない」「だから改札前にいただろ」「東口って言うから外で待っていたのに」なんてちょっとした喧嘩になってしまうことも。まあ目が見える人同士なら、それでもめぐり会えるとは思いますが、もしもメンバーに目が見えない人もいるのなら、もう少し丁寧に説明してあげたほうが親切です。

「東口の改札を出てまっすぐ5メートルほど歩いたところにある壁際のベンチに座ってて。ベンチのすぐ右側に駅ビルのエスカレーターがあるから」

 いかがでしょう。改札との位置関係、ベンチというアイテム、エスカレーターの音など、この言い方だと手掛かりがとても豊富です。

 視覚障がい者でも安心して待ち合わせに向かうことができるでしょう。

コツは「ラジオドラマのセリフのように話す」

 あなたはどうですか?

 普段代名詞をたくさん使っていませんか?

 詳細を省き過ぎていませんか?

 それはもしかしたら「自分には分かる」という主観的な説明になってしまっているかもしれませんよ。どうも勘違いされる、話が食い違うことが多いという人は、「相手にも分かる説明」を意識してみましょう。

 例えば、「とても大きなビルです」という説明。

「とても大きい」という表現はあくまでもあなたの主観です。どれくらい大きいのかは、イメージする人によって違ってしまいます。

 そこで、「都庁と同じくらいの大きさのビル」だとか、「30階建てで細長いビル」という具体的な説明のほうが、相手はイメージしやすくなります。

 コツとしては、「ラジオドラマのセリフのように話すこと」。

 映像がないラジオドラマの世界では、登場人物たちのセリフに代名詞が控えられています。

「ほら、ここ握って」なんて言われてもリスナーには状況が分からない。

 そこで「ほら、壁の手すり握って」と言わせることで、ナレーションを使わなくても状況が分かるようになるわけです。

 いかに不自然にならないセリフ回しで視覚情報をリスナーに提供するか、これがラジオドラマの脚本家の腕の見せどころ。

 説明が独り善がりになりやすい人は、会話の上達のためにラジオドラマのセリフを参考にしてみるのも良いでしょう。

相手に伝わらなければ意味がない

 会話は伝えればいいというものではありません。

 なぜなら、会話の目的は伝えることではないから。

 相手に伝わらなければ意味がないのです。

 自分が伝えたことと、相手に伝わったことが、全く別物になっていることだって少なくありません。

 私も自身が目を悪くしてからは特に、相手に伝わる言い方を心掛けています。

「ちゃんと伝えたのに、全然、お願いしたことをやってくれてない!」

 職場でもそんな不満をよく聞きますが、この時、その人は確かに「伝えた」のかもしれませんが、それがちゃんと相手に「伝わっているか」が一番の問題。

 喧嘩をする前に、もう一度「相手に伝わる伝え方」を考えてみましょう。

伝えたのに、
伝わっていないなら、
伝え方に問題あり?
そんな時は、
ラジオドラマの伝え方を
ご参考に。

<本稿は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 SUNMARK WEB編集部)
Photo by shutterstock

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【著者】
福場将太(ふくば・しょうた)
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。また2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXTVISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。

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