「メッシはほぼ左足しか使わない」が映す「強みを存分に発揮できる人」の絶対条件
「何でもできる人」っていませんか?
対するは「これしかできない人」。
両者を比べて「最高の人材」だと考えられているのは前者のほうだと思う人は少なくないかもしれません。しかし、世界最高峰のサッカー選手、リオネル・メッシのケースを考えてみると、最高の人材は必ずしも「オールラウンダー」ではないことが見えてきます。
『NINE LIES ABOUT WORK 仕事に関する9つの嘘』よりお届けします。
「神童」のハンデキャップ
リオネル・メッシのドリブルを見てみよう。
YouTubeで「メッシ ドリブル ベスト」と検索して出てくる動画のどれかを──何百件も出てくるが、どれでもいい──クリックすると、魔法の足をもつ小柄な男性が、2倍速のような速さで次々と相手ディフェンダー(DF)をかわし、ペナルティエリアに入ってシュートを放つ様子が見られる。
リオネル・メッシはアルゼンチンの港町ロサリオに生まれた。
幼い頃から足が速かった。サッカーを始めて間もない頃に母が撮影したビデオには、まるで見えない糸で大きなボールに引っ張られているかのように、次々と敵をかわしていくメッシの様子が収められている。
その神童ぶりは広く知れわたり、大西洋の向こうからやって来たFCバルセロナのスカウトに見込まれて、13歳で故郷を離れ、バルセロナの伝説のユースアカデミー、通称「ラ・マシア」(「農家」の意味)に入った。
メッシの小さな体は成長を拒んだため、成長ホルモンを投与され、体格が才能の大きさに追いつくのを待った。体がついぞ追いつくことはなかった。身長の伸びは170センチで止まり、ブエノスアイレスのスラム街で遊んでいた子ども時代と変わらずやせたままだった。
だがなぜかそれは大したことには思われなかった。才能があまりにも非凡なため──どんなに速く走り、どんなに急に向きを変えても、ボールが足に吸いついているように見える──背丈と体格の不足は問題にならなかったのだ。
17歳という若さでバルセロナのトップチーム入りを果たして以来、メッシは世界最高のサッカー選手、多くの人にとって史上最高のサッカー選手であることを証明してきた。
YouTubeを検索して出てくるのはどれも名場面だが、メッシの才能が余すところなく発揮されているのが、2015年スペイン国王杯ファイナルで、アスレチック・ビルバオを相手に決めたゴールだ。
これをじっくり見る価値はある。というのも、メッシがほんの数秒間にこなすことの多くがめざましいというだけでなく、この動画はメッシについて、とても奇妙なことを教えてくれるとともに、その非凡な才能を支える土台が何かを明らかにしているからだ。
メッシはほぼ「左足」しか使わない
メッシはハーフウェイライン近くでパスを受け、ボールを足元に置いて一瞬完全に静止する。目の前にDFが1人いて、ほかの相手選手は全員、メッシとゴールの間にポジションを取っている。
するとメッシは、まるで突然思いついたかのように、矢のように左に向かってダッシュし、それから右にフェイントをかけ、一番近いDFの不意を突いてサイドライン沿いを走り出す。別の3人の相手選手がメッシに迫り、隅に追い詰めてゴールから遠ざけようとする。
メッシは一瞬動きを緩め、右肩を落とすと左に飛び出し、相手DFの間をすり抜けたかと思うと一気に3人を振り切り、ペナルティエリアに突進する。別の2人のビルバオ選手がカバーに走るが、メッシはまるで早送りのような足の回転で、新しい脅威をするりとかわし、いまやボールを左に置いて、ゴールに蹴り込む絶好の位置にいる。
メッシはシュートする。ゴールだ。バルセロナの選手が駆け寄り、サッカー選手にしかできない方法で喜び合う。プレーに戻ろうとハーフウェイラインに向かうメッシに、ビルバオのサポーターまでもが称賛の拍手を送る。史上最高のプレーだ。
動画をくり返し見ると、驚きの発見がたくさんある。ゼロからトップスピードに至るまでの瞬発力、生来の空間感覚、最も危険な角度からのゴール、ニアポストを狙うという常識破りの決断。
だが何よりも驚くべき発見は、ハーフウェイラインを越えた位置から7人のDFをかわしてペナルティエリアに入るまで、メッシが片方の足しか使っていないことだ。走り始めてから実際のシュートまでのボールタッチの回数を数えてみると、19回のタッチのうち、右足を使っているのは2回しかない。ドリブルの最中にメッシが行うほかのことは、とどめのシュートを含め、すべて左足で行われているのだ。
別の動画をクリックして、メッシの華麗なゴール集のほかのドリブルを見ると、これがいつものことだとわかる。メッシの利き足と非利き足の使用比率は約10対1で一定している。ちなみに、利き足が右のクリスティアーノ・ロナウドの比率は、4・5対1ほどだ。
言い換えれば、メッシはただの左利きの選手というだけでなく、ボールでやるべきことのほぼすべて、パス、ドリブル、シュート、タックルのすべてを、左足だけでやる選手なのだ。
つまり、メッシの「左利き度」は実に極端ということになる。そしてもちろん、相手チームの全員がこのことを強く意識している。
それなのに、メッシがつねに左足でプレーすることをあらかじめ知っていても、そのすばやい動きには出し抜かれてしまうのだ。メッシは生まれつきの左足への偏重を受け入れ、それを極端なまでに伸ばしたからこそ、それを欠点どころか、一貫した、劇的な、不公平なまでのアドバンテージにすることができたのだ。
「強み」を発揮するとは?
メッシは世界最大のスポーツの舞台で才能を発揮しているが、あなたも職場の同僚に同じような感嘆を覚えたことがあるだろう。
準備したプレゼンテーションを、ウィットを交えながら明快に行う誰かを見て、笑顔になる。気難しい顧客に論理と共感の絶妙なバランスで対処し、しかもそれを涼しい顔でやってのける誰かに目を見張る。複雑な政治的状況を打開した誰かを見て、いったいどうやってやったのだろうと驚く。
人は誰かが才能を発揮するのを見ると、喜びを感じるようにできている。何かが自然に、滑らかに、全力で行われる様子に心を打たれ、魅了され、引き込まれるのだ。
あなた自身がこれを経験するとき、つまり強みを発揮するときにも、メッシ的な喜びを感じるはずだ。
この感情は、元を正せば、何かがうまくできたという感覚から生じるものではない。むしろそれは、うまくできた行為があなたに与えてくれるものから生じるのだ。
やりたくないと上手にならない
強みを正しく定義すると、「得意なこと」ではない。
あなたにも、知性や責任感、規律正しい練習などを通して、とても上手にできるが、退屈だったり、そそらなかったり、気力を奪われたりするような活動があるだろう。
「得意なこと」は強みではなく、能力にすぎない。実際、あなたが高い能力を発揮する活動には、喜びがまったく感じられないものがたくさんあるはずだ。
これに対し、強みとは「強さを与えてくれる活動」をいう。この種の活動は、次のような際立った影響をおよぼす。
活動の前は楽しみでしかたがない。活動の最中は時間の進みが速くなり、時間の境界が溶けていくような感覚がある。活動のあとは疲れ切っていて、もう一度気合いを入れて取り組む気にはまだなれないが、充実感と満足感を覚える。
何かの活動を強みにするのは、この3つの感覚──事前の期待感、最中の没入感、事後の充実感──の相乗効果である。
また、この活動を何度でもやりたい、何度でも練習したいという渇望と、もう一度やる機会への興奮を生み出すのも、この3つの感覚の相乗効果だ。
強みは能力というより、欲求にずっと近く、その活動を練習し続けたいという切望を煽(あお)り、最終的に卓越したパフォーマンスに必要なスキル向上をもたらすのは、この欲求である。
もちろん、やりたいという欲求は強いのに、生まれつきの才能がない活動もあるだろう。フローレンス・フォスター・ジェンキンスを評して、ある歴史家は言った。「世界最悪のオペラ歌手である。楽譜の軛(くびき)からあれほど完全に自分を解放した人は、これまでもこの先もいないだろう」
作曲家のコール・ポーターは、あまりにひどい歌声に、自分の足を杖で叩いて笑いをこらえていたという。それでも彼女は歌を愛し、財力にものをいわせてカーネギーホールの舞台にまで立った。
だがフローレンスや「下手の横好き」の人を詳しく調べると、彼らが愛しているのは活動そのものではなく、活動が象徴するものであることが多い。
フローレンスにとってのそれは、おそらく演者が浴びる注目だった。幼い頃にピアノの才能を認められ、ホワイトハウスに招かれて演奏したこともあったが、病気のせいで演奏が叶わなくなり、舞台に立つために別の方法を見つける必要があったのだ。
また、凡庸なパフォーマンスのなかの一瞬の輝きが忘れられず、卓越の瞬間を再現したいというあくなき欲求から、活動に引き戻される場合もあるだろう。7番アイアンの会心のショットが忘れられず、その瞬間をもう一度味わいたいがために長年努力した人ならわかるだろう。
いずれにせよ、人は原則として、うまくできないことを心から楽しむようにはできていないのだ。
<本稿は『NINE LIES ABOUT WORK 仕事に関する9つの嘘』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
マーカス・バッキンガム、、アシュリー・グッドール
【訳者】
櫻井祐子(さくらい・ゆうこ)
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