推しのこと、何て呼んだらいいのか問題
「推しの下の名前が呼べない」
『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』の著者でライターの横川良明さんは、こんな心境を明かします。
「くん付け」で呼んだ瞬間の甘酸っぱさに僕の心が爆発四散した
推しの名前が呼べない。
というか、もう少し正確に言うと、推しの下の名前が呼べないのです。なんだか推しを下の名前で呼んでしまうと、いきなり距離が縮まって、彼氏感が出てしまう。そこに何とも言えない密を感じて、僕は心のシールドを張ってしまうのです。
いちおう下の名前に「くん付け」で……と妄想を膨らませてみたんですけど、突然推しがクラスメイトみたいな感じになって、これまた僕には近すぎる。学ラン姿の推しが教室の後ろの方で消しゴムかなんかでキャッチボールをしてて、流れ弾がちょうど僕の足元まで転がってきたのを拾い上げた瞬間、「悪い悪いサンキュ」と駆け寄る推しと目が合うところまで想像して僕の心は死にました……無理……。
だったら苗字に「くん付け」で呼べばいいんでしょうけど、それはそれで別の部署から異動してきた後輩男子感がすごい。炎天下で一緒に外回りをして、涼みがてら入ったスタバで推しが「キャラメルマキアートをキャラメルソース多めでシロップはキャラメルシロップでお願いします」とオーダーしたあと、呆気にとられたように見ているこちらの視線に気づいて「甘いものが好きで」と照れ笑いするところを想像したら、僕の心が真夏日になりました……。
とにかくやたらと想像力だけが鍛えられたこじらせオタクの僕にとって、推しの呼び方は死活問題。今のところいちばん呼びやすいのはフルネーム+敬称略という極めて事務的なスタイルなのですが、それはそれでなんだか他人行儀。いや、100%他人なので他人行儀で大いに結構なのですが、どこか寂しい気持ちがあるのも事実。
そこでふっと思い出したのが、Mr.Children。僕、一時期はライブも通うほど好きだったのですが、アーティストのライブで何が難しいかと言うと、曲と曲の合間にファンが歓声を上げるところがあるじゃないですか。そういうとき、わりと多くのミスチルファンが「桜井さーん!」とか「JENさーん!」とそれぞれの推しの名前を口にするわけです。
このときね、僕も、僕も、声を高らかに呼びたかったのですよ、「桜井さーん!」と。こちとら腐っても元演劇部。腹式呼吸にはそれなりの自信があります。ぐっと空気を吸い込んで、「桜井さーん!」の「さ」の字が口から出かかった瞬間フリーズした。
桜井さん、だと……!?
いったい……いったい僕ごときがどうしてその名を容易く呼ぶことなどできようか。もう自意識過剰もいいところなんですけど、万が一でも神様のようなあの人の耳に、気高き名を呼ぶこの野太い声が聞こえたら、おそれ多すぎて完全に不敬罪。結局、ただの一言も言葉が出てこなくて、ただ口をパクパクさせただけの川辺に打ち上げられた鯉になりました。
一事が万事そんな感じの僕なので、うらやましいのはわりとキャッチーなあだ名があるタイプの芸能人です。及川光博(おいかわみつひろ)さんなら気兼ねなく「ミッチー」と呼んでも「なんだいベイベーちゃん」って言ってくれそうだし、中島健人(なかじまけんと)さんは「ケンティー」と声をかけたら「どうしたのシンデレラ」って答えてくれそう(イメージです)。
僕の推しにもそんなキャッチーなあだ名があれば……! と、あれこれ考えなくもないのですが、そもそもそんな愛らしいあだ名が推しについているのを想像した時点で、いとおしさが爆発四散したのでたぶん生存できてない。
推しをできるだけ「概念」にしておきたいこの心
あとは、そもそもフルネーム+敬称略が落ち着くのは、そう呼ぶことによって、ちょっと推しを概念化させているところがあるからかもしれません。織田信長、ケビン・コスナー、林遣都(はやしけんと)。この感じです。
もちろん推しが自分と地続きの世界に実在していて、今日も息をしていることは重々承知しています。でも、推しが自分と同じ世界で生きていると真剣に考えると情報量が多すぎてパンクするので、一回、ちょっと現実から切り離して概念として見ている感じ。
もう少し言うと、フルネーム+敬称略で呼ぶことによって、存在の固有名詞化をはかっている部分もある気がする。たとえば林遣都さんなら「林さん」と呼ぶと、どことなく市役所あたりに勤めてそうな感じがします。わりと下の名前が珍しいので、「遣都くん」と呼べば、ほぼ固有名詞な感じがしますが、ギリギリまだ他にも誰か該当する人はいそうな感じ。
けれど、はっきり「林遣都」とフルネーム+敬称略で呼ぶことによって、世界にたったひとり、他の誰でもない彼のことだけを示しているのがわかる。そこには「くん付け」や「さん付け」の持つ親近感や敬意とは別の、ある種の絶対性が備わっているのです。
なんだったら、そっとノートに推しの名前をしたため、口の中で転がすようにその音の響きを愉しみたい。わずか数文字。ただの母音と子音の連なりでしかない数文字が、特別甘やかに響くのだから、推しの名前というものはオタクの心を昂ぶらせる媚薬なのかもしれません。
<本稿は『人類にとって「推し」とは何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
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【著者】
横川良明(よこがわ・よしあき)
ライター
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