自分に直接関係ないニュースに気を揉む人に気づいてほしいこと
インターネットやSNSの普及によって、今や私たちはニュースの洪水の中にいます。スマホ1台でテロ、災害、政治、経済、芸能などのさまざまなジャンルの、それも世界中の情報を得られるようになりました。内容によっては気を揉んでしまうこともあります。
ただ、それらは自分ではコントロールできない情報ばかり。『News Diet』の著者、ロルフ・ドベリ氏はそれによっていつのまにか私たちが受け身になってしまうことに警鐘を鳴らします。
なぜ、「学習性無力感」に陥ってしまうのか?
ニュースで報じられるのは、大半があなたには影響を及ぼせないことばかりだ。
テロリストがどこかで爆弾を爆破させるかどうかも、アイスランドの火山が噴火するかどうかも、サハラで10万人の命が飢えによって奪われることになるかどうかも、アメリカ大統領が馬鹿げたツイートをすることも、流入する避難民の数が増えることも、アップルが新しいモデルからヘッドフォンのイヤホンジャックを廃止することも、フォルクスワーゲンが排ガス検査で不正を行うことも、ブラッド・ピットがアンジェリーナ・ジョリーと離婚したことも、このどれもがあなたのコントロール外にある。ニュースで耳にすることで、あなたが影響を及ぼせることは皆無に近い。
自分たちにはどうしようもないことについて連日聞かされてばかりいると、私たちは「受け身」になる。ニュースに気力を奪われた結果、ふさぎ込みがちになり、絶望し、悲観的なものの見方をするようになるからだ。
もちろん、私たちだって手助けはしたい。問題に介入して、少しでもいいから世界を望ましい状態に戻したい。しかし、残念ながらそれはできない。まずは家族を養わなくてはならないし、そうできるだけの時間的な余裕もない。
それに、一体どうすれば地球の反対側にある火山の噴火を止めたり、テロリストから爆弾を奪ったり、人々を飢餓から救ったりできるというのだろう? 私たちは自分には何もできないことを知りながら、悲劇的な画像を消費するよりほかないのだ。
自分ではコントロールできない曖昧な情報に脳が出くわすと、私たちは時間とともに犠牲者の役割を受け入れるようになる。行動を起こそうとする意欲が失われ、受け身になってしまうのだ。この現象は、学術的には「学習性無力感」と呼ばれている。
「学習性無力感」は、1960年代にアメリカ人の心理学者、マーティン・セリグマンとスティーブン・マイヤーによって発見された。
最初は、動物による実験が行われた。ねずみのしっぽの先に針金をくくりつけ、それを通して、痛くはあっても「不快」とだけ感じる程度の電気ショックがねずみに与えられた。
ひとつ目のグループのねずみは、輪を回せば電気ショックを止めることができた(つまりねずみたちは、状況をコントロールすることができた)。だがふたつ目のグループでは輪を回しても何も起こらず、ねずみは電気ショックを受け入れるしかなかった。
すると、どちらのグループのねずみも受けた刺激は同一(電気ショックの強さも頻度も同じ)だったにもかかわらず、連続してショックを与えたあとに見せた行動はまったく異なっていた。
ひとつ目のグループのねずみには、特に変わった様子は見られなかった。何ごともなかったかのように、ねずみたちは自由に動き回っていた。
それに対してふたつ目のグループのねずみは、明らかに性質が変化していた。このグループのねずみたちは臆病で受け身になり、性衝動が低下し、無快感症(よろこびを感じられなくなる状態)の徴候や、新しいものに対する嫌悪や、曖昧なものに対する恐怖を示した。
私たち人間がニュースで受けるショックは、ふたつ目のグループのねずみが受けた電気ショックと少し似ている。ニュースの内容や画像は私たちの感情をかき乱すが、私たちに回せる〝輪〟はない。最も賢明なのはもちろん、流れ込んでくるニュースを完全に止めることなのだが、そうするには、私たちのほとんどは弱りすぎてしまっている。
「自分が影響を及ぼせること」にエネルギーを注ぐ
たちの悪いことに、「学習性無力感」によって私たちが受け身になるのは、ニュースのテーマに対してだけではない。「学習性無力感」は私たちの人生のすべての領域に溢れ出す。
ひとたびニュースによって受け身になると、私たちは家族や仕事に対しても受け身の姿勢をとるようになる。自分で状況をコントロールできる余地がじゅうぶんにあるときでさえ、行動を起こさなくなってしまうのだ。
確証があるわけではないが、ニュースの消費が文明病であるうつ病を発症させる一因になっていたとしても、私は驚かない。時間的に考察すれば、うつ病が蔓延しだした時期とニュースが氾濫しだした時期は見事に一致する。
イギリス人のメディア研究者であるジョディ・ジャクソンも、類似のこんな見解を示している。「ニュースを消費すると、未解決の問題や、解決される見込みの少ない問題に私たちは絶えず直面することになる」。ニュースを消費すると、うつ状態に陥るのも無理はないのだ──ニュースで扱われるのは、解決できないことが歴然としている問題がほとんどなのだから。
2000年前の偉大な哲学者、エピクテトスの『提要』の最初の文にはこう記されている。「若干のことは私たちがコントロールできる範囲にあるが、それ以外は私たちのコントロール外にある」。要は、自分のコントロール外にあることについてあれこれ考えるのは馬鹿げているということだ。
私たちがニュースで耳にするのは、ほぼどれもが私たちには影響を及ぼせないことばかりだ。だから、ニュースはあっさりと無視してしまってかまわないのである。
私からのアドバイスは次のとおりだ。あなたが影響を及ぼせることにエネルギーを注ぐようにしよう。それだけでもじゅうぶんすぎるくらいのことがあるはずだ。だが、地球の反対側で起きた地震は対象外だ。
▼ 重要なポイント …………
ニュースで報じられることの99パーセントは、あなたには影響を及ぼせない。そのことが、あなたを「学習性無力感」と呼ばれる心理的な穴に落とし込む──あなたの人生のすべての領域に広がる、ある種の軽いうつ状態に陥ってしまうのだ。
ニュースの蛇口を締め、あなたがコントロールできる範囲にある自分の人生の要素に注意を向けて、その穴から這はい出そう。そうすればあなたの人生は一挙に平穏になり、あなたはいまよりも幸せを感じられるようになる。
<本稿は『News Diet』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>
(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by Shutterstock
【著者】
ロルフ・ドベリ(Rolf Dobelli)
作家、実業家
【訳者】
安原実津(やすはら・みつ)
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