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目の見えない精神科医が見えなくなったからこそ痛感した日常の「有り難み」

 私たちの暮らしは、かつてないほど便利になりました。スマートフォン1つで音楽を聴き、映画を観て、本を注文できる。欲しいものが、ほしい時にすぐ手に入る――。そんな豊かな時代に生きています。

 だからこそ、ふと立ち止まって考えてみたいこともあります。

「目の見えない精神科医」として北海道美唄市で働く福場将太さんは徐々に視野が狭まる病によって32歳で完全に視力を失いながらも、それから10年以上にわたって精神科医として患者さんの心の悩みと向き合っています。

 福場さんは視力を失ってから、日常のささやかな「有り難み」に気づくようになったと語ります。著書『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』よりお届けします。

『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』 (サンマーク出版)
『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』

有り難み、足りてますか?

 目が見えなくなってからというもの、日々の中で「有り難み」を感じることが非常に増えたように思います。

 こんなところに、手すりがあって有り難い。

 読みたかった本が、音声図書になっていて有り難い。

 タクシーで迎えに来てくださって有り難い。

 電話機のプッシュボタンの「5」にポッチが1つ付いているのだって、見えない人間にしてみればとってもとっても有り難い。

 目が見えていた頃には何とも思っていなかった日常の些細なことに、今は多くの有り難みを感じる毎日です。

 一方で、現代はなかなかその「有り難み」を感じづらい世の中になったように思います。その理由の1つは、なんでもかんでも、すぐに手に入るからです。

「この曲が聴きたい!」と思えば、スマートフォンの検索1つですぐにその音楽がイヤホンから鳴り響きます。

 映画もすぐにDVDやブルーレイになってレンタルされますし、テレビ番組だって録画予約とアーカイブ配信で見逃すということがまずありません。

 欲しい本があればネットでワンタッチで注文、早ければ翌日には郵便受けに届いています。

 私が子どもの頃は、欲しいものを手に入れるためにそれなりの手間と時間が必要でした。聴きたい曲を聴くために、何軒ものレコードショップを回ってその曲が収録されたCDを探しました。

 目当ての本が地元になければ、隣町の本屋さんまで巡りました。

 テレビ番組も、一度見逃したらもう二度と見られない、それが当たり前でした。

 友達からCDを借りたって、60分のアルバムをカセットテープにコピーするには、60分かかったものです。

 現代の子どもたちには信じられない世界かもしれませんね。

 ただ私にはそれが普通だったので、特に不便とは思いませんでしたし、逆に今の世の中を「便利過ぎる」と感じてしまいます。

 確かに今は何でもすぐに手に入る。

 いくらでも手軽に録画や録音ができる。

 でもそうやって手に入れて、結局見ていない映画のDVDがどれだけあることか。

 ひとまずダウンロードして、未だに聴いていない曲がどれだけあることか。

 読まずに積み上げられた本がどれだけあることか。

 子どもの頃、ようやくのことで手に入れたCDや漫画本は何度も何度もくり返し味わいました。

 もう二度と見られないから、テレビ番組を食い入るように見ていました。

 どうしても家族旅行でテレビが見られない時は、泣く泣くあきらめて、週明けにその番組を見た友達から話を聞いて想像しました。

 それくらい、全てに「有り難み」があったのです。

 だからでしょうか。あの頃見たもの、聴いたもの、読んだものはどれも鮮明に憶えています。偶然ラジオから流れてきただけの、誰の何ていう曲かも分からない、そんなたった1回だけ聴いた歌声が、今でもしっかり心に焼きついていたりするのです。

「生の舞台でたった1回だけの演技を見てもらいたい」

 とある俳優さんが「DVDになって何度も楽しんでもらえるのも良いけど、生の舞台でたった1回だけの演技を見てもらいたい。役者は一瞬にして消えていく、だからこそお客さんの心に残る」とおっしゃっていました。

 現代に溢れている、いつでも気軽に観賞できる便利な作品たち。

 もう記憶の中にしかない、人生でたった1回しか味わえなかった不便な作品たち。

 心に焼きついているのは圧倒的に後者。

 やはりこれは「有り難み」の差なのでしょう。

 あなたは普段の生活の中に、どれだけ「有り難み」を感じていますか?

 文明論でもよく議論されるところですが、便利な暮らしだから豊かな暮らしだとはかならずしも言えません。

 すぐに手に入るから、手にした時の喜びを感じることが減ってしまう。

 何度でも手に入るから、失うことへの恐怖が抱きにくくなってしまう。

 そして、いくらでも手に入るから、記憶に残りにくく、次から次へと新しいものが欲しくなってしまうのです。

 なんだかあんまり満たされていない感じですよね。

手軽にできればできるほど脳のブレーキがすり減る

 ここで精神科医の知識を少々持ち出します。

 精神科の専門である「依存症」という病気。

 これはお酒や薬物、ギャンブルや買い物などが「止められなくなる」、もっと正確に言えば「ちょうどよく楽しめなくなる」難病ですが、この依存症発病のリスクにも「手に入りやすさ」は密接に関連しています。

 コンビニで24時間お酒が手に入る、店まで行かなくてもスマートフォンで馬券が買える、商品の購入や支払いができる。

 ベッドの中でもトイレの中でもゲームができる。

 ワンタッチで友達や恋人、不特定多数の人とつながりが持てる。

 手軽にできればできるほど、脳のブレーキがすり減って、依存症に罹患(りかん)しやすくなるのです。

 ダイエットでもそうですよね。目の前にある冷蔵庫にケーキが入っている状態でそれを我慢するのはかなり大変。でも1キロ先のケーキ屋さんまで買いに行かなくてはならないとなると、面倒くさいからもういいやと思えるのです。

 依存症からの回復には、「自分にとって大切なものに気がつく」ということが重要になります。もっと刺激を、もっともっと快楽を、と求めてばかりいた心が、日常の中にある「有り難み」に気づけた時、依存から解放されるのです。

 裕福と幸福はかならずしも相関しません。

 手に入らないものがあって、不足があって、でもだからこそ人は自分が持っているささやかなものに有り難みを感じることができる。滅多にないことだから、たった1人の人だから、かけがえがないと思うことができるのです。

 目が見えるのは良いことです。

 目が見えるから味わえる喜びはたくさんあります。

 言うなれば現代は、世の中の目が少々良くなり過ぎてしまって、手間と時間をかけなくても、何でも見られる、何でも手に入れられる社会です。

 でも一方で、失われてしまった「有り難み」もたくさんある社会です。

 だからこそまずは、1日の中で1分1秒でも長く、便利過ぎるこの世の中がかつては当たり前ではなかったことを思い出してみていただきたい。

 テレビを録画できない時代もあった、手紙が相手に届くのに1週間かかる時代もあった、ここで別れたらもう二度と会えない時代もあった、その日の食事にありつくのだって難儀な時代もあったのです。

 私のような目が見えない人間にとっては、全ては手に入らないこと、手に入れるためには手間と時間をかけなくてはいけないことが現代でも当たり前です。

 だからたくさんの「有り難み」を感じながら暮らしています。

 目が見えているみなさんは、野山を自由に散策することも、ぶらりとウインドウショッピングすることも、大切な人の笑顔を見ることもできます。その有り難みを、どうか忘れないでください。

 決してそれは当たり前ではないのですから。

便利だから豊かとは限らない。
裕福だから幸福とは限らない。
有り難みを忘れないためには、
手間と時間も必要です。

<本稿は『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』(サンマーク出版)から一部抜粋して再構成したものです>

(編集:サンマーク出版 Sunmark Web編集部)
Photo by shutterstock


【著者】
福場将太(ふくば・しょうた)
1980年広島県呉市生まれ。医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック副院長。広島大学附属高等学校卒業後、東京医科大学に進学。在学中に、難病指定疾患「網膜色素変性症」を診断され、視力が低下する葛藤の中で医師免許を取得。2006年、現在の「江別すずらん病院」(北海道江別市)の前身である「美唄希望ヶ丘病院」に精神科医として着任。32歳で完全に失明するが、それから10年以上経過した現在も、患者の顔が見えない状態で精神科医として従事。支援する側と支援される側、両方の視点から得た知見を元に、心病む人たちと向き合っている。また2018年からは自らの視覚障がいを開示し、「視覚障害をもつ医療従事者の会 ゆいまーる」の幹事、「公益社団法人 NEXTVISION」の理事として、目を病んだ人たちのメンタルケアについても活動中。ライフワークは音楽と文芸の創作。

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